が家の間取りをざっとおさらいしておくと、半地下、一階、中二階、二階で風変わりな外観をしている。つまり変奇館である。
十年余り都心に住んでいた僕が国立に戻ることになり、増改築して二階部分が僕の寝室になったことは何度も触れている。それまで都内最古級の堅牢な鉄筋コンクリート造りのアパートに後半の五年ばかり住んでいた身としては、この夏は暑く、冬寒い、家の前の道路を自動車が通れば盛大に揺れる部屋は、必ずしも住み心地のいいものではなかった。
それ故に、2011年3月の母の死後、僕は家庭内引っ越しを企てたのだった。
中二階は六畳二間、トイレ、納戸が一列に並んでいる。当初、納戸は両親の寝室であった。二人はベッドで寝ていたのだが、ある深夜の地震に際し、母があわてて駆けだしてベッドから転落するという事件があった。生来のあわて者である母は自分が布団に寝ていると思って、ベッドの高さを忘れていたのだった。これを契機として、両親は同じ階の和室に移動することになる。二人は畳の部屋に布団を敷く生活になり、これは父が亡くなるまで続いた。その後、母の足腰が弱ったので、同じ畳の部屋にベッドを持ち込み、最後までそこを寝室としていた。
母の死後、僕はかねてからの計画を実行することにした。すなわち、かつて両親の寝室で、現在は納戸となっている部屋を寝室として再利用しようと企てたのだった。
僕としては、自分の健康の維持という目的もあり、かなりの出費となったが、贅沢とはおっしゃらないでいただきたい。
納戸にしたというぐらいだから、実測で五畳に少し足りないのではないか。ベッドを一つ置くとそれだけで一杯になり、予定していた書き物机を入れる余地はなかった。
地震対策として箪笥や本棚等は置かないことにした。特に頭の上に物が落ちないように壁には何も取りつけないことにしている。
必要以上に防音と遮光をして、壁には断熱材をたっぷりと充填してある。西日が当たる窓は二重ガラスとした。この部屋に引っ越して驚いたのは、枕元に道路があるのに自動車の騒音や振動を感じないことだった。この部分の鉄骨とコンクリートがしっかりしているためだろう。小型のエアコンとオイル・ヒーターの使用で寒暖差も極めて少ない。
予測不能の老後をここで過ごそうという魂胆なのだが、どうなりますことやら。