庭の柚子の木

母が亡くなる前の年(2010年)の正月頃だったと思うが、庭の片隅に黄色い物体が一つ、落ちているのに気がついた。
 近寄って足先で転がしてみると、どうやら果実であるらしい。変奇館の庭にそんなものが転がっているのはおかしいと思って見上げてみると、庭の角地に植えてあった柚子の樹の枝に一つ、二つの実がなっているのを確認できた。
 さっそく食卓にむかって坐っていた母に報告したのだが、母は植えたことも忘れていたらしく、ただ、ああそうなの、と気のない返事を返すのみだった。

 俗に桃栗三年、柿八年、柚子の大馬鹿二十年、などというらしい。
 それを計算してみると、父が植えたのは最晩年ではなかったかと思われる。当然のことながら、瞳はその果実を見ることがなかった。
 その年の暮れには五つばかりの果実を確認できたが、母は翌2011年三月に亡くなっていたので、この柚子の木が盛大に結実するの見ていない。以来、毎年毎年、実るようになって、その数も年をおうごとに増えていった。
 最近は、その数二百を超えるようになっただろうか。そのころになると、当たり年と裏年があることもわかってきた。豊作が一年おきになるのだった。
 一昨年は裏で、数は少なかったが大きな実がなった。去年は当たり年であったが、猛暑の影響だろうか、実は小振りである。
 二リットルのバケツに五杯は採取したのだが、それでも、その三倍近くが残っている。 それをあちらの知人、こちらの友人と忘年会の席上で配るのが、僕の年末の習慣となってしまった。
 言うまでもなく無農薬で化学肥料も与えていない柚子はジャムにすると、種が少なく美味しいと友人たちに好評だ。

 去年から今年にかけての冬休みは曜日の関係で休みが長く、忘年会も年末間際のものが多かった。
 それで柚子は枝の上で完熟してしまい、ちょっと触ると落ちてしまう。落ちた先は主に隣家の庭であり、変奇館のほうに落ちると池にポチャンと落ちてしまう。
 一計を案じて、池の落ち葉を掬うために用意してあるタモ網で実を受けるようにしてみたのだが、考えれば当たり前の、しかし思いがけない問題が派生した。
 (この項、続く)