着工

一九六八年六月、とうとう我が家の新築工事が始まった。構造は鉄骨造、一部コンクリート造だ。完成は翌年の一月となる。数階建てのビルを建てられそうな太いH鋼に、当時はできたばかりだったと記憶している軽量気泡コンクリート、商品名はシポレックスというパネルで壁と屋根を造る。当時の宣伝文句に本格的プレハブ構造部材とあり、工期の短縮もうたい文句の一つだ。当初、工期は数カ月で夏ごろには入居できると思っていた。それが長引いてしまったのには訳がある。

 この理由について身辺雑記を得意とする瞳はついに一言も書かなかったと思う。
 有体にいえば、隣接する土地の所有者との間で境界線問題が発生して裁判ざたになっていたのだ。瞳が書かなかったのは、僕が書いたら隣の大家はこの土地にいられなくなりますよ、という理由だったろうか。瞳のやさしさと気遣いだ。したがって、新居の建築に関する面白おかしい物語の矛先は、もっぱら設計者との齟齬に向けられてしまうことになった。
 功成り名遂げたので自宅を建てました、ワッハッハ、では山口瞳の文章にならない。すべてのことを失敗談としてとらえ、軽率だったと反省するのが信条だ。しかし、建築家は理科系だ。失敗は許されない。あるいは間違いを認めないというところがないだろうか。瞳の新居に対する筆致は心ない誹謗中傷と受け取られていたのかもしれない。

 ともかく、近所の人たちからガソリンスタンドができると思われていた変奇館の工事が始まった。その間、我が家は近くのグリーンマンションという公団住宅のようなアパートで暮らしていた。2LDKだったか、『江分利満氏の優雅な生活』を書いた元住吉の社宅に似ていて、親子三人は身の丈にあった生活をエンジョイすることになる。瞳も久しぶりに早朝、あわただしく出社する、同じ棟のサラリーマンを懐かしく眺めていたのではないだろうか。このアパートは現存していて、僕はいまだに敷地を駅への近道として利用している。
 

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