薪ストーブ、初体験(2)

ホテルの部屋に薪ストーブがあったので、さっそく着火した。最初は大量に煙が出て、部屋にこもるので、部屋の窓は全開にしておいてくれとホテルのマネージャーに言われた。
 実は別室に入った同行の写真家が同じように火を付けたところ、火災警報がなってしまったのだ。あわてて駆けつけたマネージャー氏が、必ず窓を開けてくれと言っていたのだった。
 火勢が安定すると煙は雲散霧消(?)してきれいな炎が立ち上がる。この段階になると窓を閉めても火災報知機が鳴り出すということはないのだった。

 めらめらと明るい炎をあげる薪ストーブを見ていると、色々なことを思い出す。
 父、瞳は連載していたエッセイ「男性自身」シリーズの中の「壁に耳あり」に収録されている「寒さかな」という題名のエッセイで、戦後すぐ、麻布の自宅にあったルンペン・ストーブのことを書いている。ルンペン・ストーブというのは最近、あまり耳にしない言葉だが、石炭、木炭はもとより薪だろうが新聞雑誌だろうが、なんでも放り込んで燃してしまうからルンペンが愛用するという意味で、その名前があるのだった。さすがに僕にはこのストーブの記憶はない。

 変奇館の暖房は以前にも触れているが石油ストーブで、セントラル・ヒーティングまがいのものだった。洗濯機ほどの大きさで、内部の下のほうに石油を満たす皿のような器具があり、そこにたまった油に布切れに火をつけて上から落とすと、一冬、そのまま燃えつづける。これで安全なのかなあと、いまさらながら不思議に思う。
 「寒さかな」を読むと瞳はストーブのかたわらで裸になってビールを飲んでいたと、書いている。室温が三十四度になっていたという。
 そういえば変奇館も真冬でもシャツ一枚で過ごせた。石油ストーブがアメリカ製なので、アメリカ人好みの温度なのかと思っていたら、どうやら瞳の好みであったらしい。