ハンナ・ヘッヒと犀星の石

 
今から三年ほど前だったか、ドイツ文学の小さな勉強会でご一緒していたI先生が、熱海の別荘の蔵書を整理なさるということで、お訪ねしたことがあった。開業したてで全く不慣れであったので、ずいぶんとご迷惑をおかけしてしまったが、修行先はじめ同業者の方々に助けていただいて神田の交換会に運び、先生の旦那様が出版された本など思い入れの深い何冊かは、私がお預かりしてみることにしたりして、なんとか山のようにあったご蔵書を整理することが出来た。

このとき、思い出深いことがひとつ。骨董もお好きでいらっしゃるこのご夫婦は、庭にたくさんの素晴らしい石をお持ちだったのだがその中に、室生犀星の馬込の家の庭にかつて置かれていた石塔があった。石はもうこれ以上運べないので、そのまま家と一緒に置いて行くつもりだが、この石塔に対してだけは思いが深すぎるので、なんとか犀星ゆかりの金沢へ運べないだろうか、そうだ犀星記念館は寄贈を受け入れてくれるだろうかという話が出た。金沢で犀星といえば、出版社のK屋さんだ。すぐに電話して、犀星記念館へ聞いてみてくれませんかとお尋ねすると、すぐに問い合わせてくださったが、記念館には現在置く場所がないらしいという返事。

とにかく金沢でどこか受け入れ先はないかとI先生ご夫婦がおっしゃる。置く場所というだけなら、私の嫁ぎ先の髙橋の家の中庭だが、実は髙橋の家は徳田秋聲に縁のあったうちなので、犀星のものを置くのはちょっとというか、なんというか・・・私と夫はマンション住まいなので、とても石は置けない。あ!そうだ、K屋さん家に素敵な庭がある、室生犀星の本も何冊も出されているし、ピッタリかもしれない、どうですか?とお尋ねすると、そうしてくださいということになった。こうして、不思議な縁で、実は、K屋さん家の庭には、犀星の庭の石があります。

今年も、京都の画廊ぐれごりおでの年に一度の展示が、クリスマス前に決まっていたので、数名の方に慌てふためいて案内状を出した。ふと住所録上のI先生のお名前が目についた。久しぶりにお便りせねばと思った。搬入日、ぐれごりおに着くと、I先生からお返事が来ていた。I先生は、以前ダダイズムについて研究されていたこともある方だ。私の案内状のケーテ・クルーゼ人形の1940年代絵本の写真に、ハンナ・ヘッヒのコラージュ作品を思い出されたとのこと。彼女は戦時中ナチスに監視され、絵もコラージュも何も発表できずにベルリン郊外にひきこもっていたと教えてくださった。

その絵本はとても珍しい版であったし、もう二度と出会えないかもしれないと思ったのもあって、工芸製本家Mさんに函を設計して作っていただいた。紙の封筒の形をしたもので、封をする場所には革の紐がさり気なく使われ、ルリユールの伝統を示唆する素晴らしい作品が出来上がった。今回の展示に合わせて一部だけ作った目録と一緒に、蒐集家のUさんがお求めくださり嬉しかった。