レンズと紙と

初夏のある日、写真愛好家のKさんに貴重なコレクションを見せていただいた。感動だった。オリジナル作品や特別な版の写真集を直接見ることができる機会は何ものにも代えがたい。体験前と体験後の自分は別人になったような心持ちになる。開業して以来長らく、近代ドイツの写真を取り扱うことを考えてきたが、いよいよ一歩踏み出そうと、ドイツから数点、アウグスト・ザンダーなどを仕入れてみることに決めた。

20世紀初頭ドイツの偉大なモンタージュ作家ジョン・ハートフィールドが、アンドレ・ケルテスの写真を装幀に使用した『自動車の一生』(エレンブルク 著 マリク書店、1930年)。

NさんがZ社のオークションの仲介を頼んでくださる。淡々と落ち着いて蒐集される姿勢に頭が下がるばかりだ。この会社は初めてだったので、信用されるかが不安だったが、連絡してみるととても感じが良かった。やはり古書業界ってこじんまり小さいのかな・・・。偶然、インキュナブラ零葉も出品されているのを見つけ、入札することにした。秋に京都で予定している展示に良いかなと思ったのだ。

N社では、日本のアヴァンギャルドのコレクションが出品。目録のデータ取りが出来る人を探していると話には聞いていたものだ。面白い来歴なので、写真の仕入れついでにこちらも何点か入札。オーストリアの同業者からは、研究者時代の専門分野であったウィーン工房関連のものをいくつか仕入れることが出来た。何年間か気になっていた、ドイツ文学の本もまとまったリストが届いて全部買った。ハンス・ベートゲなど、20世紀初頭にドイツ語に訳された漢詩の書物数冊である。東洋の袋綴じ製本を模した装幀で大変美しい。

忙しい仕入れで室内が紙の本であふれる傍ら、T美術館の内覧会へ出かける。ウィーン工房にかんする展示だったからだ。数年ぶりにN先生にお会いできて、一緒に鑑賞することが出来たのは良かった。研究プロジェクトに数年間参加させていただいたときのことを回想しつつ、退職された現在お読みになっているというウィーン世紀末のサロニエールのことに話が及ぶ。久しぶりに聞く名前に嬉しい気持ちがこみ上げた。知られざる女性だが、ウィーン分離派の運動にも深い影響を及ぼした重要人物・・・誰も知らない領域に足を踏み入れるのは本当に大変なことだ。人の分析を盗んで理解した気持ちになるのではなく、生の作品に直接触れることで初めてその時代への扉が開く。

帰宅して。数日間ぐったりしてしまった。何日も必死で仕入れをして頭を働かせたため集中力が切れてしまったのか。エミール・オルリックの極めて珍しい作品が、今回B社に出品されたのも精神に応えたようだ。考えに考えて駄目もとでスタートビットより少し上で入札してみたが、やはり落札は無理だった。

同上の見返し部分。

昔のオリジナルプリントの写真の感触のことばかり考えていると、かつて自分が使っていたカメラを触りたくなった。シャッターを切ると懐かしい音が。フィルムが入ったままになっていた。レンズをしぼりファインダーをのぞきこむ。露出計も取り出し嬉しくなって、感覚を取り戻さんとのぞきこんではシャッターを切り、使い切って巻いて取り出してみた。カラーフィルムが出てきた。ならば以前はスライドにマウントしていたので、同じようにしたいと写真屋さんに出すと、もうそのサービスは終わったとのこと。昨今は注文者が自分でマウントしなければならないようになったらしい。時代は変わった。アナログカメラはますます特別なものになりつつあるのだ。Kさんが、印画紙も今では驚くほど値上がりしていると教えてくださった。暗室の暗闇を再び体験することは出来るのだろうか。

数日後。突如梅雨が明けた猛暑の中、出来たリバーサルフィルムを取りに行く。お店を出て木陰を探し、照りつける太陽に透かしてフィルムを見上げてみると、どのコマもとても使えた代物ではない。すっかり悲しくなった。私は、もう失われた世界を無理して追い求めているのだという絶望感に襲われながら、自転車をこいで帰宅、分厚いカーテンで日光を遮断した室内に戻った。

2022年7月1日