夢二とチェシュカとバルビエ

この度、『増訂版 金沢湯涌夢二館収蔵品総合図録 竹久夢二』(増訂版総合図録と略称)が刊行された。私も寄稿させていただいた。内容は、夢二のスクラップブックの調査結果について。夢二が同時代のドイツの美術雑誌から影響を受けたことが明らかになったと記した。10年ほど前から考えてきたことだったが、資料の閲覧がかなわなかったため、半ば諦めていたことだった。問題のスクラップブックが金沢の夢二館に寄託されたので調査が出来るというご連絡をいただいた時には、心の底から嬉しかった。それは間もなく同館の収蔵品となった。そもそも京都で研究活動していた私が、金沢へやってきて、ますます資料の世界が好きになって古本屋になり、そこへ手に取りたいと永らく願っていた資料もやってきてくれた。人生はつくづく不思議だ。

増訂版総合図録に掲載された拙文には、研究論文らしく淡々と、スクラップブックに貼り付けられた紙切れの出典を列挙したが、古本屋として考えるに、いや、この度の調査で古本的に興味深いのは、カール・オットー・チェシュカの『ニーベルンゲン』の色刷り図版を夢二が切り抜いていたことであろう。チェシュカは、とりわけ1910年頃から20年代にかけてウィーンの美術工芸界で活躍したデザイナーであるが、同書は稀覯書ファンの間では必携の書物のひとつだ。いわば豪華本であるので、スクラップブック上に発見した時は、まさか夢二は貴重書を切り抜いたのであろうかと肝を潰した。学芸員さんに手伝っていただいて、紙質をさわってみたり、糊がついていない部分をそっと裏返したり透かして見てみたりして、オリジナルではないことが判明した次第だ。

増訂版総合図録刊行記念名品展も始まり、館長さんのギャラリィートークにあわせて湯涌へ出かけた。久しぶりの方々にもお会いできて、かけがえのない楽しいひとときだった。展示の中に夢二が装幀した小さな天金の書物『青い小径』があった。これまた稀覯書界で人気のジョルジュ・バルビエの『すそ飾りとふさ飾り』を思い出した。(註)パリの古書店で、この5冊セットが色あざやかな宝石箱のような革の函に収められているのを見たことがある。同書店では、チェシュカの『ニーベルンゲン』にも細長い洒落た函があつらえられていた。

Nさんとモダニズム建築雑誌(デ・ステイル)の話になって、今いくらくらいかなとイギリスの有名古書店のウェブサイトを久しぶりにのぞく。お目当ては無かったが、代わりにバルビエの前掲書が目にとまり高価でびっくり。よほど状態がいいのだろう。このところ春のオークションシーズンであるドイツからは、毎日のようにお知らせメールが届く。カタログを見ていると、N社に『ニーベルンゲン』が出品。1909年の初版だが、データを読むとどうも状態が良くない。一方、B社には、信じられないほど状態の良い1910年代のオットー・ドルフナー装幀本が3冊出品されていて、いずれも驚きの競り上がり。入札してみたくて仕方がなかったが、私はコレクターさんみたいに今は心が豊かでもなく、古本屋として在庫しようにも日本では需要がなさそう。泣く泣く諦めた。

 

(註)今回、夢二のスクラップブックに、バルビエの小さな切り抜きが貼られているのも発見した。同時代のイラストレーター、アンドレ・マルティの切り抜きも。