子どもの本とヴァルター・ベンヤミン、そしてアドルノの書斎

ベルリンの友人Sから小包が来た。開くと、1940年代ドイツで出版された子どもの本が出てきた。ウンター・デン・リンデン沿いの市立図書館で、最近児童書展示(オトフリート・プロイスラー展 )の仕事をしたとのこと。本にかかわる仕事ではるか遠くの私を思い出してくれたなんて、嬉しい。私がいつもベルリンに行くたびに泊めてくれるS。滞在中は毎日古本屋だのオークション会社だの蚤の市だの同業者との会食だの… ニッチな場所に出かける私の姿を見て面白がってくれる。彼女はグラフィックデザイナーなので、何か仕入れて帰ると、さあ見せてと床に広げて眺める習慣。最後に行ったのがコロナ禍前で、もうしばらく会っていない。つくづくベルリンが恋しい。送ってもらった子どもの本は、ヴェルナー・クルーゼという作家によるものだった。時代を体現する素晴らしいタイポグラフィーと挿絵、楽しい内容で嬉しくて仕方なかった。

昨年あたりから、子どもの本のことを考えるたびに、ベンヤミンが頭をよぎるようになった。ベンヤミンとは、あの名高い思想家ヴァルター・ベンヤミンなのだが、そもそもは、彼のテクストにフランス19世紀のイラストレーターJ.J.グランヴィルが何度か登場していることに気付いたのがきっかけだ。彼は意外と古書や愛書家の世界に近い人だったようだ。このところ、もっぱらその観点から興味が尽きない。

ドイツと古書といえば、まずは活版印刷が発明された国として「インキュナブラ」、それ以外ほとんどは、フランスやイギリスに比べると地味な歴史だと言われがち。(作家ヘルマン・ヘッセもこのようなことを記している!)ただし、古書蒐集家と古書業者が中心に形成されている古書業界で深く愛されてきたのが、ドイツ18世紀から19世紀初頭にかけての児童書である。(註)そして、このことについて、かのベンヤミンがまさか記しているとは。実に興奮した。以下にまとめてみると、

ベンヤミンいわく、子どもの本の最盛期は19世紀初頭であり、その隆盛の根底には教育思想というよりむしろ庶民生活、いわばビーダーマイヤー精神がある。当時は多くの小さな町に出版社があった。しかも、そうした出版社が生み出す出版物は、当時のつつましい簡素な実用的な家具と同様に、実に品の良いものだった。そして、当時の家具の引き出しのなかに、子どもの本が百年ほども眠っていたりする。小さな町の出版社とは、例えば、マイセン、グリマ、ゴータ、ビルナ、プラウエン、マグデブルク、ノイハルデンスレーベンなど。こうした名前の響きのほうが、ベルリンやライプチッヒ、ニュルンベルクやウィーンなどよりはるかに、蒐集家の意欲をかき立てる。これら小さな町すべてで挿し絵画家が仕事をしていた。そのほとんどは無名の仕事だ…(ベンヤミン著作集初版、テオドール・アドルノ&グレーテル・アドルノ編、フランクフルト、ズーアカンプ書店、1955年より)

生きている時代も場所も違いすぎるので、そもそも感情移入のようなことは軽くしたくないが、ベンヤミンと同じく、私もこの時代(ビーダーマイヤー期)の児童書が大好きだ。

 

「熱心に学ぶジークムント」1812年にニュルンベルクで刊行された、知られざる小さな本の中の挿絵(ヨーハン・ハインリッヒ・マイニエ著『子どものための物語集』)
「熱心に学ぶジークムント」1812年にニュルンベルクで刊行された、知られざる小さな本の中の挿絵(ヨーハン・ハインリッヒ・マイニエ著『子どものための物語集』)。少年が家具職人の見習いをしているひたむきな姿。さらに、この挿絵の背景には本が並んでいる。まさにこの時代を象徴する図像だと思う。ベンヤミンは、「ニュルンベルクで」刊行された本よりもより小さな町で作られた本が蒐集家の欲をかき立てると表現してはいるものの… 伝統的な出版都市ニュルンベルクの本ももちろん悪くない。

 

ビーダーマイヤー期のスケッチ。

ビーダーマイヤー期のスケッチ。
ビーダーマイヤー期のスケッチ。ぶ厚い紙に描かれており、折ると立体的に建てることが出来る。子どもが遊ぶために作られたもの。

 

もう20年ほども前のベルリン自由大学交換留学中一緒だったYさんが、金沢へ仕事で来た。自由時間、せっかくなので観光案内と、西田幾多郎記念哲学館へ。長い間フランクフルトのマックス・プランク研究所で働いてきた彼。西田の書斎骨青窟を見て、テオドール・アドルノの書斎を思い出したとつぶやく。フランクフルトに今も保存されてあるらしい。実は、元旦の地震直後、アドルノの文句が頭に浮かんでどうしょうもなかった私。ドイツの戦後芸術の出発となった言葉だ。Yさんに言うと、どんな言葉でしたっけと返事。私は留学中のどの文学の授業でもその言葉を聞いた気がしていたが勘違いだったか…。人によってものの受け取り方はそれぞれ。私は随分と長くその言葉に囚われすぎていたのかも。その後、21世紀美術館で開催の金沢美術工芸大学卒業制作展に行く。今年度ドイツ語の授業を受講してくれていた学生さんたちの作品を鑑賞するため。Yさんも多彩な言葉で評してくれる。見事。言葉というものはいつも、権威を高めるためではなくて、権威から自由になるためにある。学生のころ大好きだったものの、もう何年も何年も敬遠していたドイツ現代芸術に、もう一回向き合ってみたいかも、なんて思った春の日だった。

(註)もう一分野、近年古書業界でドイツ語圏の本として大変愛されているのが、ウィーン分離派やウィーン工房による装幀やグラフィックの作品である。

 

2024年3月15日