弊店でもっとも人気のある本は、ゲーテの『ファウスト』かもしれない。訳本はもちろん、原典も目録にあげると必ずご注文いただく。大抵研究者ではなく、純粋にドイツ語テキストを体験したいという意欲に溢れた方々だ。ドイツ書専門店が少なくなった現在、とても喜んでいただけるので、つくづく本屋冥利に尽きるなあと嬉しい。ただ、同じ『ファウスト』でも、挿絵入りとなると別だ。(日頃から感じていることだが、読書が好きな方々は、なかなか「挿絵」や「装幀」の世界に足を踏み入れることがない。本を読むことと本を見ることは相入れないらしい。)
『ファウスト』の挿絵本でもっとも有名なのは、かのウジェーヌ・ドラクロワによるもので、生前のゲーテも驚愕し批判してしまったとかなんとか曰く付きの、特別な本だ。(いや、ゲーテが批判し気がにいらなかったのは、
黒い犬に姿を変えたメフィストフェレスがファウストに近づいて来る場面
つい最近、挿絵入りの『ファウスト』が二点入荷した。片方はドイツで1920年ごろ出版されたもので、挿絵はフランツ・シュタッセン。日本ではあまり知られていないが、アール・ヌーヴォー(ユーゲント・シュティール)様式を代表する画家で、リヒャルト・ワーグナーの歌劇関係の仕事も多くこなした。当時のドイツならではの、ゴシック書体(亀の子文字)のテキストも興味深い。まさしく、20世紀初頭に再び甦ったゲーテの『ファウスト』である。(さだかではないが、初版は1900年ごろと思われる。)
もう一冊は、ドラクロワ と同じくフランスで生まれた『ファウスト』(1943年刊行)。訳はジェラール・ネルヴァル。挿絵はアール・デコ様式(1920年代頃)の代表的なアーティスト、ルイ・イカール。「アール・ヌーヴォー」であるとか「アール・デコ」であるとかどちらでも良いのだが、便宜的に使ってしまうのは困ったことなのかもと思いつつ…。(現にこの2冊は刊行年が双方の様式が属するとされる時代からずれる。)イカールの挿絵、シュタッセンのものと全く違う。フランスの本ならではの、柔らかさやしなやかさを感じる。だが、今回もっと興味深く感じたのは、標題などのレタリングにドイツ書物への敬意が読み取れることだ。それは、ウィリアム・モリスのインキュナブラ再発見が生み出した「美しい本」を近代の新しい本の伝統と価値付ける、西欧の愛書家業界に身を置く人間が全力で表現したもの。
それにしても、シュタッセンの挿絵も気味は悪いがイカールも同様、なまみの西洋を見せつけられる感じ。どうやってこういったものを日本で受け止めたらいいのかなと思う。単なる「お洒落」感覚で西洋を受容しようとは、多くの若い人はもう感じていないのでは。この二冊の本はいずれも、今回海外からの仕入れではなく、国内に長い間あったのを縁あって私のところにやってきたもの。勘であるが、シュタッセンの方は、刊行当時日本に輸入されたものである可能性もある(それにしては湿気のシミが出ていない良い状態ではあるが)。イカールの方はおそらくバブル時代にやってきたものだろう…いろいろと考えてしまい頭が混乱し疲れてきて、思わずもう一つ別の『ファウスト』を手にとった。それは、戦前に何版にもわたって出版され続けた森林太郎訳の本で、背を革で綴じられ小口を薄く緑に染められて函に収まった小さな本。とても薄い紙にゴシックと明朝体が延々と素朴に組まれている。すらすらと巧みに訳された鷗外の詩の言葉を読んでいると心が落ち着いた。
2024年7月9日