シシーのグリルパルツァー

本屋の私はほとんど本を読まない。小学生の頃から本を読むのが大好きだったくせに、もう今はあまり読めなくなった。なぜかはよくわからないのだが、もしかすると、過去に研究者たらんと意気込みすぎて、本を読むのがわずらわしくなってしまったのかもしれないと思っている。頁を開いては一字一字(とその背景)を解釈する癖がついてしまい、ふんわりと読むことを楽しむのが困難になったのだ。つくづく不器用である。加えて今は本を売るという仕事が忙しい。毎日眺めるたくさんの本は、次々と私の目の前を通り過ぎていく。本屋さんで読書が趣味な人のことがつくづく豊かでうらやましい。

そんな私だが、ごくごくたまには読書熱にうかされることも。つい最近の読書熱は以下のようなものだ。……昨年用事で訪れた同業者さんのお店の棚に、岩波文庫の『ウィーンの辻音楽師』(フランツ・グリルパルツァー、福田宏年訳)がふと目についた。なつかしさがどっとこみ上げた。原書を学生時代、A先生の購読の授業で読んだ。当時の私には難しくて、さっぱり理解出来なかった。とはいえ、その後ウィーンに行き現地の空気を体験する機会にも数回恵まれて、その作家の歴史的な重要さを知った。若い頃の原書体験は、達成感とともに時折思い返される良い思い出になった。すぐに結論が出ることが求められているように思われる現代と真逆の、分からないものを分からないままに、距離を取りつつ敬うという貴重な体験。(きっかけをくださったA先生ありがとうございます。)

グリルパルツァーの時代の建物のある風景(2007年11月23日のウィーン、ヨーゼフシュタット)
グリルパルツァーの時代の建物のある風景(2007年11月23日のウィーン、ヨーゼフシュタット)

さて、その小さな本を同業者さんに分けていただいて、数日間自分のベッド脇の本棚に立てていたが、ふと手にとって読み始めたところ、とまらなくなった。一気に最後のページまで読み進めて、胸は熱く感動の気持ちでいっぱいに。「偉大な」作家は「偉大な」ゆえに理解しようと努めなければならないどころか、あちらから、するすると私の方へ向かってきて自然に心の中に入ってきた。嬉しかった。仲介してくださった訳者さんに感謝だ。

オーストリアの国民的作家フランツ・グリルパルツァーは、1791年にウィーンで生まれ、1872年まで生きた。役人として勤務しながら戯曲の執筆を始め、彼の作品はブルク劇場で次々と上映された。とはいえ、ある戯曲が不評だったのち、彼は自らの作品の上映を一切禁じた。音楽家ベートーヴェンと交流があり、追悼演説をしたことでも知られる。『ウィーンの辻音楽師』(原題Der arme Spielmann哀れな辻音楽師)では、まさに音楽が重要な役割を演じている。作品からは、主人公の奏でる哀しいヴァイオリンの音色が聴こえてくる。

ドイツの古書オークション目録を眺めていて、ふと、グリルパルツァー全集が出品されていることに気がついた。旧蔵者は、あのシシー、つまりエリザベート公妃である。入札してみたが、意外と競り上がらず僅差で負けた。とはいえ、それほど悔しい気持ちにはならなかった。特別すぎる本をわざわざ遠く湿度の高い国へ輸入して、しみだらけにしてしまう危険性に晒すことを免れた気がして…

代わりについ最近、私のところに偶然やってきたグリルパルツァー全集がある。東ドイツ時代にアウフバウ出版社から出された、なつかしのドイツ古典叢書(Bibliothek Deutscher Klassiker)のうちの1セットだ。大学院時代に働いていた某洋書専門店の社員の方のところから来た。その方は、私にとって理想の本屋さん。お客様からの専門的な問い合わせに、いつも専門家として真摯に対応されていた。休日はいつも古本屋巡りをされる。私もあのように専門的でありたいと常々思ってきた。まだまだ経験と能力が足りなさすぎるけれど…兎に角その方と今もご縁がつながっていることがこの上なく嬉しい。こうして、私は今再びDer arme Spielmanを原書で読んでみようかなと、その3冊を自分の本棚に入れた。

 

2023年1月9日