石倉小三郎のゲーテ

石川県立美術館で竹久夢二の展覧会が始まった。夢二の欧州滞在時の素描がたくさん展示されている。金沢湯涌夢二館太田昌子館長の講演に合わせて、声楽家の東朝子さんと出かけた。講演までの時間に常設展示をのぞくと、日本書紀の写本を見ることが出来た。現存する最古のもので、前田綱紀が蒐集した名高いコレクション(尊経閣文庫)のうちの一冊である。講演会は、夢二のセノオ楽譜の表紙絵の巧みさの話など、実に楽しかった。

その数日前。データどりをしていると、電話がなる。数年前、金沢大学関係の勉強会でお会いした方で、家の整理をなさるのでドイツ書の査定を、とのこと。送っていただくと、その中に旧制山口中学校の蔵印のあるゲーテ全集(テオドール・フリードリッヒ編レクラム版)の端本があった。旧蔵印の上には「賞」と紫色の大きな印が押され、「大正二年三月」とその方のお父様(河村又介)のお名前がペンで記されていた。旧制山口中学校を首席でご卒業なさったお父様が賞品として授与され、家宝としてずっと大事にされてきたものである。端本である理由は、一冊は病気のご親友のところに行ったからとのことであった。お父様はその後第七高等学校に進まれ、教鞭を取っていた石倉小三郎にお会いになる。今回の御蔵書の中には、石倉のガリ版刷りの献呈本もあった。こちらは、声楽に関わられていた今の持ち主の方が、お父様からのご縁もあって石倉小三郎にお会いになった時の思い出の本とのことだった。

数日後、別の買い取りに出かける。棚の中に大切に収められた、戦前留学した方のゲーテのコレクション。蒐集されたおじいさまは、かつて日本郵船の船医を勤められた方だ。ゲーテを深く愛され、四人の子供たちにはゲーテに因んだ名前を付けられた。本を箱に詰めようと取り出すと、一番上の日本語の本一冊を形見にと持ち主がおっしゃってお渡しする。ふと標題を見ると、やはり石倉小三郎の本だった。彼は四高(旧制第四高等学校現金沢大学)にもいたらしい。家に戻って楽譜の棚を探すと、彼が訳詞を手がけたシューマンの「流浪の民」(小川楽譜、刊行年不詳、ガリ版刷り)が出てきた。すっかり忘れていた。不思議な縁だ。

この楽譜は、夢二の表紙絵ではないものの、セノオ楽譜でも刊行されている。東朝子さんによれば、ある一定年齢以上の女性にはかなり馴染みのあるものだそうだ。女学校の音楽教育には、この曲が必ず盛り込まれていたというのである。合唱曲が愛された背景には、文部省唱歌が作られ、教材として大切にされたことが深く関係している。東さんのお話をうかがって、私の祖母のことがありありと思い出されてきた。昔の女学生の典型であった祖母は、亡くなる寸前も、文部省唱歌を口ずさんでいた。比叡山のきれいに見える病室だった。祖母も、石倉小三郎訳詞の「流浪の民」に親しんでいたのだろうか。

忙しい日々を過ごしているうちに、9月後半の京都での展示会がみるみる近づいてきて、焦りながら案内状をデザイナーさんにお願いする。すぐに対応してくださってありがたかった。インキュナブラ零葉展ということで、シュテファン・フリドリン『宝石箱』(ニュルンベルク、コーベルガー、1491年)などを展示する予定だ。案内状に選んだ零葉は、イエス・キリストの周りをたくさんの動物が取り巻いているもの。ライオン、犬、一角獣、鷲、象、からす、フクロウ、羊・・・。まるで高山寺の明恵上人像のようである。とりわけ一角獣が描かれていることが気にかかり、手元に持っていたいような一点だ。

2022年8月25日