鬱金草

はじめて金沢で展示会をしたときに、中心に飾ったのはチューリップであった。春だったからである。たしか初日はお釈迦さまの誕生日の日だった。準備中、大好きなバシリウス・ベスラー『アイヒシュテット庭園植物誌(Hortus Eystettensis)』の手彩色なしの第67番目の図譜を必死で探している間に、ヨハン・ヴィルヘルム・ヴァインマン『薬用植物図譜(Phytanthoza iconographia)』の赤いチューリップ(4巻第994図)に出会った。ヴァインマンの図譜は、メゾチントという版画技術のせいか、じかに見るとぼんやりしたものが多いが、見つけたチューリップの図譜は良かった。

ヴァインマン『薬用植物図譜』のチューリップの図譜(1745年刊行)<br>岩崎灌園の『本草図譜』にも、横倒しに向きを代えてそっくりそのまま写されたもの
ヴァインマン『薬用植物図譜』のチューリップの図譜(1745年刊行)
岩崎灌園の『本草図譜』にも、横倒しに向きを代えてそっくりそのまま写されたもの

私があえて言うまでもないが、チューリップは歴史深い花だ。オスマントルコでスレイマン皇帝時代にはすでに珍重され、様々に品種改良が重ねられていた。「チューリッパ」とも呼ばれる「チューリップ」の名前は、中東の人が頭に巻く「ターバン」に由来している。たしかに、その蕾はターバンのようなふっくらした形である。チューリップがコンスタンチノープルからオランダに渡り、西欧で大変なブームとなり、さらに多様な新種の数々が作り上げられたこと…園芸大国イギリスに到着しのはオーストリア経由だったこと云々…チューリップを取り巻く熱狂は、とてつもなく大きい。植物辞典や園芸の本、植物学の本、そこかしこにその歴史が語られている。

我が家の小さなベランダでは、10年ほど前小さな原種の球根を植えたら、春に鉢いっぱいに咲いて嬉しかった。「日本のチューリップ」の異名を持つ山野草、アマナも面白い。もちろん、切れ込みの入った複雑な花弁を持つものにも興味がある。ただし、どちらかと言うと本の商いのことに頭が占領され、園芸が趣味とは言えない私。秋の球根を植える時期に、夢見るチューリップの球根をとおりがかりで予算内で見つけることは難しい…。20年ほど前、オランダを経由したとき、空港のお土産屋さんがどこもかしこも華やかなタイプのチューリップの球根だらけだったのは楽しかった。そのとき惹かれたようなものを自分の鉢に咲かせてみたいが、その後は縁がない。私が高校生くらいのとき母が熱心に読んでいたイギリスの種苗カタログにたくさん載せられていたチューリップも、良かった。そのカタログは、もう日本では手に入らなくなってしまったという。結局、我が家のベランダには、毎年、ひとつかふたつ、シンプルな赤いチューリップが、野生化したアメリカ原産のすみれの鉢からひょろっと出てきて、咲く。最初にいつ球根を植えたのかはもうすっかり忘れてしまったものだ。

谷上江南『西洋草花図譜』(1917年)のチューリップ
谷上江南『西洋草花図譜』(1917年)のチューリップ

最近、思い立ってチューリップの図譜を二枚仕入れた。片方は前述のヴァインマンのもの。『薬用植物図譜』の第4巻目の982番目の図版だが、一連のチューリップの中では第一番目のものだ。開き切った黄色いチューリップが一輪だけ描かれ、実に迫力がある。(写真を参照してください。)もう片方の図譜は日本のもので、谷上江南の木版画だ。『西洋草花図譜』(1917年)からの一葉である。実物を手に取ると、日本の木版画ならではの美しさが際立っている。そもそもヴァインマンの図譜は、江戸時代の本草学者たちに深い影響を与えた。その日欧交流の歴史と伝統が、1920年前後の日本のモダニズム時代にまで脈々と続いているのが見えてくるような気がして、並べて眺めていると喜びが湧いてきた。おりしも、金沢へいらっしゃったHさんが、チューリップは日本では鬱金(ウコン)と取り違えられていたことがあると教えてくださった。うちのベランダには鬱金もあるのだが、冬を無事に越したがどうかが心配になった。

2023年3月13日