画廊ぐれごりお

 今年も、京都の画廊ぐれごりおで展示をさせていただくことが出来た。この場所は、もう15年ほども前、まだ若かった私が、インキュナブラ(註1)やグレゴリオ聖歌(註2)といった、所謂「美しい本」の存在を教わった場所。その時そこにいらした骨董商のおじいさん坂田房之助さんとの出会いは、私の本人生のひとつの始まりだった。

 昨年、金沢の出版社龜鳴屋(かめなくや)さんで、私がどうして古本屋になったかという本を出すことが決まった時、坂田さんのことを絶対に記さなければと思った。ご遺族にご連絡したところ、娘さんの本郷敦子さんとご主人がたまたま金沢へいらした折にお会いすることが出来た。鈴木大拙館を見学して本多の森の小道を登り、県立美術館の喫茶店でお話をした。坂田さんの思い出話が自然と続き、恐れ多くも初対面という気がしなかった。その後、本郷さんが受け継がれた画廊ぐれごりおで展示をしないかというお話がとんとんと進み、今年でもう二回目となった。

 今年の展示は、インキュナブラとグレゴリオ聖歌を飾った。その場所に縁の深い物なので、古いお客さんたちがみんなそのように一言おっしゃって見てくださる。本郷さんも入り口に坂田さんのグレゴリオ聖歌を飾られた。私が飾ったものは、マルティン・ルター以前のドイツ語聖書。ルターの生まれた年に発行された9番目のコーベルガー聖書をはじめ、12番目のシェーンスペルガー聖書に、13番目のオットマー聖書。グレゴリオ聖歌は、5年ほど前、神保町の勤め先に手ほどきを受けつつ初めて海外の古書オークションに参加した時に競り落としたもので、思い切って壁に掛けさせていただいた。

 そして、直前に思い出したニュルンベルク年代記二葉。これは場面をきちんと調べる時間がないままに持ち込んでしまったが、今回はとにかく飾らなければという思いにかられ壁に掛けていた。すると、ヘブライ学者の手島勲矢先生が、ちょうどイスラエルからいらしていた死海文書の研究者の方(エマニュエル・トーヴ先生とその奥様)と訪ねてくださったので、すかさずお聞きしてみると、すぐに分かった。そうだ、ソロモン王の審判の場面だ。江戸時代に宣教師がソロモン王劇をクリスマスに上演したという記録もあるというではないか。これは坂田さんの教え通り、和漢のさかいをまぎらかす、お茶室にぴったりの零葉だ。

 「当時彩色」の見極め方を習いに、また近々ベルリンに行けたらいいなと思う。そして、このような西洋の美しい本が日本に初めて来たのは、一体いつなのだろう。坂田さんの足取りを追うこととともに、ゆっくり落ち着いて調べて行けたらいいなと考えている。

(註1)ドイツで、ヨハネス・グーテンベルクが活版印刷機を1440年頃に発明してのちに作られ始めた書物のうち、成立が1500年以前のものをインキュナブラ(揺籃期印刷本)と呼んでいます。
(註2)グレゴリオ聖歌は、キリスト教の教会で昔から歌われて来た単旋律の音楽で、その楽譜は全て手写本(マヌスクリ)で大きな羊皮紙に描かれ、大変美しいものとして古書の世界で珍重されています。