古い資料を保存すること

製本家の宮田明美さんにお願いしていた箱が6つ届いた。箱というのは、本を守るための箱なのである。美術館や資料館でよく使われているお決まりの灰色の中性紙の箱は、少し楽しさが足りないな?というのが私の考えだった。趣味的な楽しい方向性を貫くのであれば、ルリユール(註)本流の豪華な箱を作るべきなのだろうが、そうではなくて、もう少し気軽に、ほんの少し楽しくデザインしてあって古い本のことも守ってくれる箱が欲しい。より良い箱は、蒐集家の方の手に渡った時に、持ち主が持ち主の趣味に合った箱をまた新しく注文してくだされば良いのだから、その特別な世界をほんの少し示唆してくれるような箱がいいかなというのが私の願いだった。届いた包みを開けた途端、宮田さんに私の考えていたことが伝わったと分かった。とても嬉しかった。

左:青い箱は布製の夫婦箱、内側には革の本を守るためのふかふかの布が敷いてある。マーブルの箱は小さな植物図譜を入れるためのもの。中:ドイツ・モダニズムの本にはあっさりした箱。右:少し装飾性のある円い留めのついた箱は、ウィーン世紀末のエフェメラ資料を入れるためのもの。フランス1920年代の雑誌にも、同様のものを作っていただいた。

状態の良い本を在庫すると、その本を私が壊してしまうのではないかと心配でたまらなくなることがある。何十年何百年もの長い間、物が良い状態で保たれるのは奇跡的なことである。そのようなものを手元に置くことは大きな喜びだが、それを他ならぬ私が壊してしまったとしたらどうしよう。そんな時、一刻も早く在庫を動かしたくなってしまう。本を守るのは持ち主の大切な使命なのだ。

ただ、この日本は高温多湿な気候のため、洋本の保存には適していない可能性がある。これは、近代に入って、日本が和本から洋本へと大きく舵を取り直して以降の重要な問題である。洋本を専門に扱う古本屋としては、この問題の大きさを日々痛感しているところだ。現在、町の本屋さんの棚に並ぶ本はほとんど洋風の本である。新本であっても、本箱に入れてしばらくして開いてみるとシミが出ていたという経験は誰にでもおありだろうと思う。

私の身近な公の機関でも、貴重な資料を守るプロジェクトが現在始められている。場所は、西田幾多郎記念哲学館。哲学者西田幾多郎の業績を広め、「哲学」を一般に普及するための公の資料館であるが、この場所で、新発見資料である西田幾多郎のノート50冊の保存修復の作業と翻刻作業が進められているのだ。私は昨年夏よりこの翻刻作業に毎週一日と半日参加してきた。徐々に筆跡にも慣れてきて楽しんで作業させていただいている。

そんなことに縁を感じ、数ヶ月前東京で開催された古書業者のオークションで西田の書簡を目にした時思わず手に入れてしまった。美術史家の下店静市宛で、西洋と東洋の芸術の空間の違いについて書いてある。目録のデータ取りを手伝いに来てくださった蓜島亘さんにデータを取っていただき、先日出版した目録に収録した。

西洋と東洋の芸術空間のことは私にはよく分からないのだが、ここ日本の湿気具合が、西洋とかけ離れていることは確かだ。日本人が洋本を所蔵し、また洋風の本を製産することにはどのような意味があるのだろう。どうして和本は、その構造が日本の風土に適しているにもかかわらず、私たちの日常から遠ざかってしまったのだろう。

西田幾多郎書簡 1942年9月8日付 下店静市宛
西田幾多郎書簡 1942年9月8日付 下店静市宛

註 「ルリユール」とは、本を持ち主が装幀職人に特注し好みの装幀に綴じる技術のことです。フランスで特に発達していることから、フランス語の「製本」という言葉が語源です。この技術は、時に本を大量生産の枠の外に押し出し、芸術品、手工芸品の域にまで高めます。