第7回 会津の塗りもの vol.1

 手仕事の周囲を見回してみると、あらゆるジャンルに「敷居」のような存在があることに気付きます。
 そして、そのジャンルが長い歴史(いわゆる「伝統」)を持っていればいるほど、敷居は高くなる傾向があるものです。

会津の塗りもの

 たとえば、漆。
 手仕事界における漆器って、かなり敷居が高いジャンルに分類されるのではないでしょうか?(←ダジャレじゃないです)

 それというのも、漆器が美術工芸として位置づけられているせい。
 確かに、高度に手が加えられた輪島などの塗りものは、日常で使うにはちょっと腰が引けてしまう(見た目もお値段も)かもしれません。
 ただ、漆器のルーツについて考えるなら、本来は美術品という括りではなく、木地をコーティングして強化するために作られた実用のための器だったはずです。

会津の塗りもの

 ここからは僕の勝手な想像。
 太古の人は、たぶん身近な素材である木材をくりぬいて器を作っていたはずです。ただ、無垢のまま使うと、早晩カビが生えて使い物にならなくなってしまったことでしょう。それでは、衛生的によろしくないし、見た目も美しくない。
 そんなことを続けていたある日、森に入った誰かが、漆の木の表面に付いた傷から不思議な樹液が漏れ出し、それが固まると表面を保護することを偶然発見したのではないでしょうか。
 そして、「お、この樹液を塗り重ねていったら、木の器の表面を美しくコーティングできるかも」と思いついたのだと思います。

会津の塗りもの

 先人たちの知恵を使ってコーティングした、生活のための木の器。
 そんな観点で漆器を見直せば、高いと思われた敷居は少しだけ低く見えるようになるかもしれません。
 僕自身、漆器についてはそういう見方で接してきたので、お椀も家でがんがん使ってしまいます。味噌汁用の器というポジションにとどまらず、洋風のシチューやスープなどにも。持った時の軽やかさ、そして注いだ汁物の熱さから手の感覚を守ってくれるところも好きです。

会津の塗りもの

 何事にも始まりがあって、それらが淘汰されながら洗練されてゆくと「伝統」と呼ばれるようになりますが、工芸を理解する上では、結果としての現状に目をやるだけではなく、そのルーツやプロセスに目をやることも大事ではないかと思います。
 古くからの塗りの産地・会津にも、そういう考えで生活のための漆器を制作する作り手がいます。
 次回は、僕が日々愛用する器を塗っている村上修一さんのお話をしてみたいと思います。