第10回 波佐見焼と中尾山 vol.1

波佐見焼

 磁器というのは、石を粉砕したものが原料。
 土を原料とする陶器に比べると、諸々の工程で高度な技術が必要です。

 日本で磁器生産の端緒が開かれたのは17世紀初頭のことですが、草創期から現在に至るまで400年に渡ってそれを支えてきたのは、波佐見(長崎県)と有田(佐賀県)。双子の産地とも言える九州の陶郷でした。
 今回は、その片割れである波佐見の町と、そこで作られるやきものについて話してみたいと思います。

波佐見焼

 最近、インテリアショップなどで見かけることが多くなった波佐見産のプロダクトデザイン。
 ポップな色使い、シャープなフォルム―――精巧な技術の結晶として生み出された現代的な器は、老若男女問わずに高い人気を誇っています。
 ただ、渋好みのおじさんである僕は、どこかに「古き良き波佐見」の姿を宿す伝統的な染付や白磁の方に愛着を覚えてしまうのです。

波佐見焼

 では、「古き良き波佐見」とは、いったいどんな風合いを指すのでしょう?
 それを僕なりに表現するなら、「生地の雑味」「成型のゆるやかさ」「筆の運びのラフさ」。そして、それらを許容することによって醸される「独特の大らかさ」です。

 往時の波佐見の陶工たちは、芸術家のような功名心は持っていませんでした。
 彼らは、生業としてただひたすらに手を動かしていただけだと思いますが、結果として、そういう我欲のない制作姿勢が素朴な美意識の醸成につながったわけです。
 その衒いのなさは、現代人が陥りがちなスノビズムやそれにまつわる美意識のありように一石投じる強い力を持っているのではないかと思います。

波佐見焼

 この町の中でもっとも古い時期から窯業が栄えたのは、中尾山という地区。昔の工人たちの心根に寄り添う窯元が今も軒を連ねていて、黎明期の陶郷の空気をそこはかとなく宿す場所です。
 くわしくは次回話しますが、この場所に立ち、「古き良き波佐見」というものの本質について掘り下げてゆくと、そこには柳宗悦が唱えた民藝運動(*注)と同根の考え方がうっすらと見えてくるような気がします。

 うつわブームと言われる昨今。器が好きな方はどうしても作家物に目が行ってしまうと思いますが、同時に、手なじみの良い窯元の器にも目を向けてみると、ほんの少しだけ生活の視座が柔らかなものになるかもしれません。

 注:民藝運動
 無名の工人たちの手になる雑器や道具、日用雑貨の中に宿る美しさを「用の美」と称し、それらを広く紹介する生活美化運動のこと。