第12回 波佐見焼と中尾山 vol.3

第12回 波佐見と中尾山 vol.3

 波佐見焼を生み出す中尾山地区は、緩やかな傾斜の谷筋=小さな川沿いに開けた集落です。
 こう書くと、「谷筋にあるのに、どうして『中尾谷』じゃなくて『中尾山』なの?」という疑問を持たれる方があるかもしれませんね。そう、確かに、ごもっとも。

 この疑問については、九州の古い言葉を知ることで解決するのではないかと思います。
 かつて九州地方では、高地であるか低地であるかに関係なく、窯業が集積するエリアを「皿山」と呼んでいました。だから、有田(佐賀)や小鹿田(大分)や小石原(福岡)などの産地には、それぞれ皿山と呼ばれる地区があります。
 であるならば、「中尾山」も本来の呼び名は「中尾皿山」だったはず。けれど、発音のしやすさが勝り、いつしか「中尾山」という省略形が正式名称に取って代わったのでは……というのが、やきもの探偵(?)である僕の勝手な見立てです。

第12回 波佐見と中尾山 vol.3

 その中尾山地区を見下ろすようにそびえ立つのが、白岳山。
 山頂に目を向けると、岩肌があらわになった部分が確認できますが、これはかつての磁石場の跡。400年前の工人たちは、この山で陶石を採掘していました。

 山のてっぺんで陶石を切り出し、川岸に設けた水車で磁土を生成。さらに隣接する作業場で成型・加飾し、山の斜面に築かれた登り窯で焼成する。磁器生産黎明期の中尾山では、多くの生活雑器を効率的に生産するため、地区内で様々な分業のネットワークが形成されていったことでしょう。

第12回 波佐見と中尾山 vol.3

 白岳山にはもうひとつ、中腹あたりに、世界最大級であった登り窯・中尾上登窯の遺構が残っています。

 かつてはその旺盛な稼働力で、海外に醤油や日本酒を輸出する際に使う容器『コンプラ瓶』や、屋台舟で飯を供するための『くらわんか碗』など、江戸時代のロングセラー商品を大量に生み出した登り窯。ここに立って目を閉じてみると、名もなき陶工たちの息遣いが聞こえてくるかのような不思議な感覚にとらわれます。

第12回 波佐見と中尾山 vol.3

 窯元や工房を廻るときはいつも、当地で商社を営む堀江正明さんに案内をお願いしています。
 昼食は地元の方がふだん食べている衒いのないものを……という僕のわがままなリクエストで、毎回連れて行ってもらうのが、有田屋という渋い食堂。

 昼時の店内で、窯業に携わる地元客のざわめきに耳を傾けていると、時代環境に寄り添いながら、同じ地域で同じモノづくりの仕事が上手くリレーされていることにちょっとした感動を覚えます。
 波佐見焼の400年の歴史とひととき同席できたような不思議な気分に浸りながら、彼の地のソウルフード・ちゃんぽんで空腹を満たす。土地の空気と胃袋をシンクロさせる時間は、旅する器屋にとって至福のひとときです。