読めない本屋

12月の京都の展示会で、本を保護する夫婦箱(註)付きの本をいくつか展示した。その中に、19世紀末オーストリア・ウィーンの作家ヘルマン・バールの本があった。ヘルマン・バールとは、私が博士論文を書いた時に専門にしていた人物。この本は1900年刊行の戯曲で、見返しにはバール自身の書き込みもあるのだが、実は、神田でHさんが発見されて私の所に数冊持ってきてくださったものだ。壊れやすい紙の装幀でありすでに破損もあったので、修復をお願いするとともに布張りの夫婦箱を作ってもらった。
展示会初日、つい最近バールの翻訳書を出されたばかりの恩師N先生が来られたので、二人で書き込みの解読を始めた。バールの筆跡は小さく、細かくて読みづらい。とはいえ画廊の打ち解けた空気の中で、二人でわいわいと眺めていると、突然すらすら読めた。エーリヒ・シュミットというドイツ文学者にバールが献呈した本だと判明。久しぶりに大学院時代に戻ったようで嬉しいひとときだった。

年明けて。活版印刷工房の尚榮堂さんをお訪ねする。今年の私の目標は、活版印刷を体験して、あわよくば文字が組めるようになることなのだ。まずは見習いするのだと大張り切りだったのに、いくつかの活字を活字棚に戻すという作業を始めてすぐ、棚に整然と並ぶ無数の活字に酔って激しいめまいに襲われ座り込むはめに。

別の日。西田幾多郎記念哲学館での西田ノートの翻刻プロジェクトの仕事の日。今までの教員時代ノートとガラリ変わって、学生時代のノートを対象とすることになった。ゲーテ『ヘルマンとドロテア』の読書ノートだ。困った。一昔前の筆記体で書かれているのである。たいていの亀の子文字(フラクトゥール)は読めるのだが、この種の文字は読むのに時間がかかる。この筆記体を元に作成されたジュッタリーン書体の絵本に先日も苦戦したところだ。目がすっかり痛くなった。

また別の日。お客様がお持ちになっている『ニュルンベルク年代記』の零葉が、聖書のどの場面のものかお尋ねがあったので、出先でふと空いた昼休み時間に調べ始める。突然集中力が高まり途中までわかったが、様々な情報が盛り込まれているページで収拾つかずに時間切れ。目の前を常にたくさんの本が通り過ぎていく本屋にはいつも読む時間が足りない。

(註)本の保護のために誂えられる箱を夫婦箱(めおとばこ)といいます。本の箱といえば、差し込むタイプの箱ですが、本のカバーやパラフィン紙が破けた時、差し込めば差し込むほど破損が進むという体験をお持ちの方もいらっしゃるのでは。開くタイプの箱(夫婦箱)であれば、本の保護に便利です。