消費されないものづくり

「なんであのお気に入りだった商品は無くなってしまうんだろう?」こんな疑問は誰もが一度は感じることかもしれません。大人になっていくにつれて、だんだんと分かってくるのですが、商品が量産されるものである以上は、それは避けられない現実で、一度に何千個も作って、それが売れなければ採算が合わなくなるので、簡単に作るわけにはいかなくなるのです。

「純粋に同じ商品を作り続けられないのだろうか?」モビールを最初に作り始めたとき、そんなことを思いました。愛着を持って産み出した商品を、無くなっていくことを前提として世の中に送り出すのはおかしいと思うからです。それに、もしモビールを気に入ってくれる子がいたとして、かつての僕と同じように「なんで無くなってしまうんだろう」と思うかもしれません。それが経済の仕組みのためだとしたら、その子の想いとは何の関係もないことなのです。僕は自分が納得のできるものづくりをするために、量産を前提とするのはやめようと思いました。

モビール

モビールは50個ぐらいずつしか作りません。一年でその50個しか売れない商品もあります。それでも何年もずっと作り続けて、世の中に出し続けています。「それではやっていけないでしょ?」と揶揄されることもありますが、実際これ一本でもう10年以上も継続しています。なぜそれが可能かと言えば、かかる労力と時間、コストをなるべく小さくするようにしているからです。もちろんそれだけで良いとは思っていません。もっとたくさんの人に届けるためにはどうすればいいかの工夫は続けていますが、「売るために作る」ことだけはしたくないと思うのです。

企業の目的が社会の課題解決にあることはよく分かりますが、だからといって「需要のないものは作るな」としてしまうと、そこには今現在の価値しか視野になく、未来の価値が抜け落ちているように思います。例えば、まだ始めたばかりの頃、「モビール」といっても、ほとんどの人はその名称すら知らないような状況でした。その中で需要などあるはずもなく、それをメインの商材にするというのは、今すぐの価値しか見ていなければ、ひとりよがりの趣味のような活動にしか見えないでしょう。かといって、今すぐに利益を上げなければ継続できない近視眼的な経済活動ばかりになっていけば、社会にはよく似たものばかりが溢れていくでしょう。それが本当の意味で課題解決につながるかはとても疑問です。もっと視野を広げた経済活動はできないだろうか。まだ始めたばかりの頃から、そんな風に思っていました。

じつはモビール以外の商品も少し作っているのですが、どれも自分なりに作る意味があると思って作った商品ばかりです。車に貼るベビーインカーのサインは、もう随分前に作った商品ですが、今も販売しています。カー用品店が主な市場のせいか可愛いものがなかったので、雑貨屋さんにも置けるような可愛らしいモノを作ろうと思いました。

マトリョーシカのベビーインカー
マトリョーシカのベビーインカー

「RISOPOS(リソポス)」というポスターも3年前に作りましたが、こちらはアンディ・ウォーホルのシルクスクリーンの作品のように、同じ形で色が違うポスターが作りたいと思ったのがきっかけです。

RISOPOS(リソポス)
RISOPOS(リソポス)

どちらも少しずつしか作りませんし、ほとんど売れないのですが、だからと言って価値がないとは思っていません。価値は0か100かではなくて、その間があるのです。それに相対的なもので、その人との関係によっても変わります。モノの価値を「売れる」か「売れない」かの二値化してしまったところに、誤りがあると僕は思うのです。もちろん作るだけで満足して、売れなくても良いとは思っていません。ただ「売るために作る」のではなく、「作ったモノをどう売るか」を考えていきたいです。100年先も変わらないモビールを作るために、消費されないものづくりを続けていきます。