モビールのはじまり

「紙と糸でつむぐ物語」を読んでくださったみなさま、お久しぶりです。しばらくコラムをお休みしていましたが、その間、さまざまな繋がりや広がりが生まれたので、今回から装いを新たにして再スタートさせていただくことになりました。心機一転モビールを巡る活動をすこし掘り下げてお伝えしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

改めてモビールとは?「紙と糸でつむぐ物語」の初回でも簡単に触れましたが、知育玩具としてのモビールは北欧で生まれました。以前からバルト海周辺の国々では、モビールの原型となる吊るし飾りの風習がありましたが、まだ産業化されておらず、「モビール」とも名付けられていませんでした。産業としてのモビールはデンマークのあるモビールブランドの創業者が自分の子どものために作ったのが始まりと言われています。でもじつはそれ以前に、アート作品としてのモビールがアメリカから生まれていたことはご存知でしたでしょうか。20世紀に活躍した芸術家アレクサンダー・カルダーが、のちにモビールと呼ばれることになる芸術作品を最初に作りました。

「モビール」と名づけたのは、同時代に活躍した同じく芸術家のマルセル・デュシャン。「モビール」はデュシャンが作った造語で日本語では「動く彫刻」と訳されています。果たして「動く彫刻」とは何なのでしょうか。20世紀の芸術は、これまでの目を楽しませてくれるだけの視覚的な芸術から、徐々に逸脱していく流れの中にありました。ピカソのキュビズムやデュシャンのレディメイドをはじめ、反逆的で、実験的な芸術が数多く生まれてきた時代だったのです。そのような流れの中で、キネティックアートという潮流が生まれてきました。元来静止していた作品に、時間という概念をプラスすることで、動きを作品に取り入れるアートのことです。今では珍しくないかもしれませんが、当時は画期的な作品で、カルダーはその先駆者だったのです。

じつは、このカルダーの作品(モビール)が、マニュモビールズの事務所のあるここ名古屋で、いつでも誰でも見ることができます。名古屋市美術館のすぐ外に、こんなにも大きな作品が堂々とかざられているのをご存知でしたでしょうか。タイトルは「ファブニールドラゴンⅡ。(かっこいい名前ですね!)1969年に制作された作品です。固定された下部と、上の部分は風を受けて回る(動く)仕組みになっています。私たちが普段知っている知育玩具のモビールとは随分と大きさも形も異なり、まるで遊具のように見えるのではないでしょうか?すぐ隣には公園もあるので、もしかすると、遊具と勘違いされている方もいるかもしれません。1988年からずっと同じ場所に立っているようなのですが、全く古びた感じがしないのは流石と言うしかありません。

名古屋市美術館前にあるカルダーの作品
カラフルな色彩もカルダーの作品の魅力の一つ
足元の石碑に作品名も記されています。

モビールの始まりはこのような形のアート作品でした。そして、これらキネティックアートの流れを受けて、北欧のモビールは生まれてきたのです。まだ比較的短い歴史しか持たないモビールというアイテムには、たくさんの可能性があると思います。アメリカで芸術作品として生まれたモビールが、ヨーロッパで知育玩具として生まれ変わり、そこからさらに日本らしい感覚を取り入れて生まれたのがマニュモビールズのモビールです。

次回は、どのような視点からマニュモビールズを生み出したのかをお話しできたらと思います。

 

[参考文献]
『20世紀美術』高階秀爾(ちくま学芸文庫)
Wikipedia アレクサンダー・カルダー