カルダーとムナーリ
-多様なモビールのカタチ-

これまでモビールに関わるたくさんの事柄をご紹介してきましたが、もう一人、僕にとってモビールを語る上で忘れてはいけない人物がいます。それはイタリアのデザイナー、ブルーノ・ムナーリです。

ブルーノ・ムナーリはイタリア・ミラノ生まれのデザイナーで、1998年に90歳で他界するまで、たくさんの作品を残しました。どの作品もユーモアとウィットに満ちていて、デザイン以外にも、絵本や知育玩具、絵画やアート作品など、たくさんの作品を発表されてきました。その代表作が「役に立たない機械」と呼ばれる作品群で、これがとてもモビールに似ているのです。記号のような形をしたパーツが糸で結ばれて、中には北欧の知育玩具のように棒があったり、カラフルな色合いのものもあります。天井から吊り下げてゆらゆらと揺れ動く様子は、正にモビールといえそうです。
 

ブルーノ・ムナーリ作「役に立たない機械」を模写したもの

ブルーノ・ムナーリ作「役に立たない機械」を模写したもの

 

ムナーリのこの「役に立たない機械」ですが、じつは以前ご紹介したアメリカの芸術家、アレクサンダー・カルダーとほぼ同時期に作られました。それゆえに、当時のイタリアでは、ムナーリの作品は単にカルダーの作品を模倣したものと見做され、本来の意図が理解されずにいました。ムナーリはこのことに異を唱えます。カルダーのモビールと、自分の「役に立たない機械」は異なるものであると主張するのです。カルダーのモビールは「彫刻」の延長であるのに対して、自分の役に立たない機械は、「抽象絵画」の延長であると。ムナーリは自身の著書『芸術としてのデザイン』の中で、カルダーのモビールについてこう述べています。「カルダーは初めての木の彫刻家であったということもできよう。人物や動物の彫刻家はいくらでもいる。だが、生き物としての木、順次に大きさの違っていく枝、その枝に葉がついていて、ゆれ動く木、それらは今までに作られたことはなかった」と。つまりカルダーは自然にあるものを、彫刻家が石や木を彫って表現するように、モビールで表現したのです。それに対して、ムナーリのオブジェは、形や配置、配色で構成された抽象絵画を平面から解放することを目的としています。実際ムナーリは同じ著書の中でこう述べています。「これらの形を画面の静的な性質から解放して、空中に吊るし、私たちが呼吸している空気に反応しやすいように、それらを相互に結合したら面白くなるだろう」と。一見似ている2つのオブジェですが、表現しようとしているものはこのように全く別のモノだったのです。

じつは僕も最初の頃、何を作っているのか理解されない日々が何年も続きました。モビール自体があまり知られていないなか、知っている数少ない人でさえ、モビールと言えば棒の両端にモチーフがついている北欧のタイプを思い浮かべることが多いからです。その形を変えたモビールは、単に子どもの工作の延長に見えたのかもしれません。
カルダーが「彫刻」を、ムナーリが「抽象絵画」を解放しようとしたように、僕は「物語」を解放しようとしました。絵画よりも詩や文学に影響を受けてきたことも大きいのですが、なにより絵本から飛び出してきたようなパーツが相互に関連して、くるくると回るモビールが、西洋のデザインでは表現できない日本らしいモビールにつながると思ったのです。どれも同じ、空中に吊り下げてゆっくりと動くオブジェですが、表現しようとしているものはこのように多様です。芸術作品とプロダクトの違いももちろんあるでしょう。カルダーとムナーリ、二人の先駆者に敬意を表しつつ、僕は僕で、日本生まれの〝物語のあるモビール“を、今後も研究していきたいです。
 

マニュモビールズのモビール「少女の見た夢」。どんな物語が浮かぶかな?

マニュモビールズのモビール「少女の見た夢」。どんな物語が浮かぶかな?

 

参考:『芸術としてのデザイン』ブルーノ・ムナーリ著(ダヴィッド社)