東京へ出張に行った際に、現在、麻布台ヒルズギャラリーで開催中の『カルダー:そよぐ、感じる、日本』を見てきました。
カルダーとは、以前こちらでも書きましたが、モビールを最初に作ったアメリカの芸術家です。日本では35年ぶりの開催ということで、モビールがにわかに注目され始めていることが分かって嬉しくなりました。モビール以外にも、動物の動きを水墨画のように黒一色で表現した作品や、スタビルと呼ばれる動かない造形作品もあったのですが、どれも「動き」を表現していることが印象的でした。モビールのように動きそのものを表現した作品はもちろんですが、動かない静止した作品であっても、そこには今にも動き出しそうな形が表現されているのです。
カルダーがモビールを作り始めた1930年代頃、キネティックアートと呼ばれる、芸術の新たな流れが生まれました。元来、静止していたはずの作品に、時間の概念をプラスすることで、動きを取り入れたアートのことです。19世紀後半から20世紀前半の芸術は、それまでの目で見たものを美しく描くような写実的な表現とは異なり、印象=感覚で捉えたものを2次元のキャンバスに表現する作品が次々と現れました。モネに代表される印象派の絵画やピカソらキュビスムの作品、もっと言えばカルダーとも関わりのあったモンドリアンなどの極端な抽象絵画を見れば、実際に目で見えていないものを描いていることは明らかです。3次元にある対象の本質を追究するあまり、視覚でとらえられる以上のことを表現する必要があったのです。
そこから4次元目の「時間」を取り入れる方向へ向かうことは何ら不思議ではありません。時間もまた目に見えないものですが、カルダーは4次元に属する「時間」を3次元のオブジェの「動き」によって表現しようと試みたのではないでしょうか。実際、モビールより先に描かれた動物をスケッチした作品群にも、動物の微細な動きが、2次元の紙に見事に表現されています。色は墨一色に抑え、筆の動きを活かした理由も、動きそのものを捉える必要があったからではないでしょうか。画家が3次元の対象の本質を捉えるように、カルダーは4次元目の「時間」や「動き」の本質を捉えようとしたのだと思うのです。
これだけの数のカルダーの作品を一度に見たのは初めてですが、会場には目に見えない「動き」が溢れているように感じました。実際、動かずに止まっているモビールもあったのですが、それでもそれは動きを表現している「モビール」なのです。カルダーの多くのモビールは素材に金属を使用しているのですが、じつは以前からそのことが理解できないでいました。金属は重くて少しの風では回らないからです。金属より軽い素材はいくらでもあったと思うのですが、なぜカルダーは金属を選んだのでしょうか。その理由がこの展覧会を見て少しだけわかったような気がしました。止まっているモビール、今にも動き出そうとしているモビール、視覚のみに囚われなければそういったモビールもありうるのです。自分の中でモビールに対する認識がまた一つ広がりました。これだけの数のモビールを一度に見られる機会はそう多くありません。ぜひ足を運んでカルダーの思考の足跡をたどってみてはいかがでしょうか。
参考:高階秀爾著『20世紀美術』(ちくま学芸文庫、1993)