日本発のモビールを目指して

前回のコラムで、「モビール」とは元々アメリカで生まれた芸術作品の呼び名というお話をさせていただきました。アート作品としてアメリカで生まれたモビールは、北欧で知育玩具として生まれ変わり、その知育玩具が海を越えて、日本にやってきたのは、その後のことです。

今から10年~15年ほど前、ちょうど2000年代が始まってしばらく経つ頃、北欧ブームとともに、日本の雑貨店にもモビールが吊り下がるようになりました。じつはそれ以前の1960年~70年代頃にも、一度北欧のモビールは日本にやってきていたのですが、当時の日本の暮らしには合わなかったのか、定着せずに一旦、姿を消します。そして誰もモビールという言葉を口にしなくなった頃、再び現れたのが2000年代。僕が初めてモビールを見たのは、その時でした。

可愛らしいモチーフたちが、風に揺られてくるくると回るモビール。動力は自然にある気流の力だけなのに、眺めていると不思議と心を穏やかにしてくれるモビールに、一瞬で魅了されました。当時すでにモビールを作っている日本人は何人かいたので、僕は遅ればせながら作り始めたそのうちの一人でした。

最初に直感的に思ったのは、北欧の真似ではない、日本独自のモビールを作りたいということでした。北欧のモビールはデザイン性に優れていて、インテリアとしてもとても可愛いのですが、それを真似しても二番煎じのものしか作れないのは明らかです。そうではないアプローチができないだろうかとまず考えたのです。モビールについて調べてみると、前回書いたような歴史と共に「動く彫刻」と呼ばれていることを知りました。つまり、モビールに決まった形式などなく、「動く」「彫刻(物体)」であれば、どんなものでも良いんだと思いました。そうであれば、日本らしいモビールを作ることは、とても意義深いことのように思えたのです。

ひとくちに「日本らしさ」といっても、いろいろな考え方があると思うので一概には言えませんが、新たにモビールを作る上で少なくとも次の二つのことは意識して変えようと思ったことでした。 一つ目はモチーフ同士をつなぐ棒を無くすこと、二つ目はデザイン性より物語性を重視すること、です。

北欧やヨーロッパのモビールの多くは、金属や木でできた細長い棒でモチーフをつないでいるタイプが一般的です。これは僕の推測にすぎませんが、おそらくアレクサンダー・カルダーの作品の以下のようなタイプが原型となっていて、この棒の両端にある黒いオブジェの代わりに、可愛らしい動物などのモチーフを吊り下げたものが多く見られます。

アレクサンダー・カルダー《Flocons de suie》1953年
アレクサンダー・カルダー《Flocons de suie》1953年
出典:https://calder.org/works/hanging-mobile/flocons-de-suie-1953/

僕は真っ先に、この棒を無くそうと思いました。それは「物語性」の重視にも関わってくることですが、この棒がモチーフ同士の間にあることで、モビールが描き出す物語性が損なわれるように思えたのです。確かに、デザインとしての観点からは秀逸な構造を持つことは分かります。美しいフォルムのために極限まで余計な要素を省いていくことがデザインであるとすれば、そこに細い棒があることは頷けます。ただ、デザインよりも物語性の方を重視するのであれば、棒は舞台で言う黒子の役に過ぎません。役者より目立ってはいけない、見えない方が良いものなのです。だから、以下のモビールのように、棒の部分もモチーフ(月)で表現することにしました。そうすることで、黒子の役は居なくなり、全てのモチーフが糸でつながり合う物語性の高いモビールを生み出すことができたのです。

マニュモビールズのモビール『月と天馬』
マニュモビールズのモビール『月と天馬』

北欧やヨーロッパのモビールはデザイン性にすぐれたとても素晴らしいものです。僕はただ日本人の視点から別のアプローチによるモビールを作ろうとしただけに過ぎません。その他にも日本らしさを意識した部分は多々ありますが、それはまた別の機会にお伝えできたらと思います。

アメリカで生まれたモビールは、まだ100年にも満たない短い歴史しか持ちません。今後もヨーロッパはもちろん、日本やアジア、世界中の国々から、たくさんのタイプのモビールが生まれてくることを願っています。「動く彫刻」であれば、何でもアリなのだから。僕もまだまだ新しいモビールを生み出していきますよ。

*上述したカルダーの作品は、アメリカにある「Calder Foundation」のウェブサイトから引用させていただきました。以下のサイトに膨大な量の作品が掲載されていますので、ぜひご覧ください。カルダーが残したモビールの多様さに驚かされます。
https://calder.org/archive/all/works/

モビールのはじまり

「紙と糸でつむぐ物語」を読んでくださったみなさま、お久しぶりです。しばらくコラムをお休みしていましたが、その間、さまざまな繋がりや広がりが生まれたので、今回から装いを新たにして再スタートさせていただくことになりました。心機一転モビールを巡る活動をすこし掘り下げてお伝えしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

改めてモビールとは?「紙と糸でつづる物語」の初回でも簡単に触れましたが、知育玩具としてのモビールは北欧で生まれました。以前からバルト海周辺の国々では、モビールの原型となる吊るし飾りの風習がありましたが、まだ産業化されておらず、「モビール」とも名付けられていませんでした。産業としてのモビールはデンマークのあるモビールブランドの創業者が自分の子どものために作ったのが始まりと言われています。でもじつはそれ以前に、アート作品としてのモビールがアメリカから生まれていたことはご存知でしたでしょうか。20世紀に活躍した芸術家アレクサンダー・カルダーが、のちにモビールと呼ばれることになる芸術作品を最初に作りました。

「モビール」と名づけたのは、同時代に活躍した同じく芸術家のマルセル・デュシャン。「モビール」はデュシャンが作った造語で日本語では「動く彫刻」と訳されています。果たして「動く彫刻」とは何なのでしょうか。20世紀の芸術は、これまでの目を楽しませてくれるだけの視覚的な芸術から、徐々に逸脱していく流れの中にありました。ピカソのキュビズムやデュシャンのレディメイドをはじめ、反逆的で、実験的な芸術が数多く生まれてきた時代だったのです。そのような流れの中で、キネティックアートという潮流が生まれてきました。元来静止していた作品に、時間という概念をプラスすることで、動きを作品に取り入れるアートのことです。今では珍しくないかもしれませんが、当時は画期的な作品で、カルダーはその先駆者だったのです。

じつは、このカルダーの作品(モビール)が、マニュモビールズの事務所のあるここ名古屋で、いつでも誰でも見ることができます。名古屋市美術館のすぐ外に、こんなにも大きな作品が堂々とかざられているのをご存知でしたでしょうか。タイトルは「ファブニールドラゴンⅡ。(かっこいい名前ですね!)1969年に制作された作品です。固定された下部と、上の部分は風を受けて回る(動く)仕組みになっています。私たちが普段知っている知育玩具のモビールとは随分と大きさも形も異なり、まるで遊具のように見えるのではないでしょうか?すぐ隣には公園もあるので、もしかすると、遊具と勘違いされている方もいるかもしれません。1988年からずっと同じ場所に立っているようなのですが、全く古びた感じがしないのは流石と言うしかありません。

名古屋市美術館前にあるカルダーの作品
カラフルな色彩もカルダーの作品の魅力の一つ
足元の石碑に作品名も記されています。

モビールの始まりはこのような形のアート作品でした。そして、これらキネティックアートの流れを受けて、北欧のモビールは生まれてきたのです。まだ比較的短い歴史しか持たないモビールというアイテムには、たくさんの可能性があると思います。アメリカで芸術作品として生まれたモビールが、ヨーロッパで知育玩具として生まれ変わり、そこからさらに日本らしい感覚を取り入れて生まれたのがマニュモビールズのモビールです。

次回は、どのような視点からマニュモビールズを生み出したのかをお話しできたらと思います。

 

[参考文献]
『20世紀美術』高階秀爾(ちくま学芸文庫)
Wikipedia アレクサンダー・カルダー