顔の凸版

「こんなものが出て来たんですよ!見てください!」金沢の活版印刷工房尚榮堂さんでは、先代さんからその場所にあった貴重な物が日々発掘されている。先日拝見したのは、たくさんの顔の凸版。ご主人に聞くと、昔はよくあったもので、商社マンや銀行マンの営業の方々の名刺に写真代わりによく入れたものだという。主に1950年頃に行われていたことで、写真を入れるより凸版で押した方が当時は合理的だったというわけである。凸版に刻まれたそれぞれの顔は、名刺を作る人の似顔絵。尚榮堂ご夫妻がおっしゃるには、この凸版を作る前にイラストレーターが似顔絵を描いているはずとのこと。

日々西洋の版画にかかわって頭でっかちになっている身としては、大変な衝撃を受けた。版画の世界で19世紀まで行われていたこと、つまり画家が絵を描きそれを元に版を彫るという作業に類似したことが、ここ日本の日常でも、しかも戦後まで行われていたとは!
もう少し説明してみよう。昔は写真という技術がなかったので、写真の代わりに版画が使用されていた。例えば、19世紀までの名作美術を紹介する書物を開いてみるとする。現在ならば、カラー写真で挿入されるはずの図版は、そこではみな銅版画などの版画である。つまりダ・ヴィンチやフェルメールなどの名作絵画の数々は、全て版画という形で複製され流布しその名声を高められたのである。版画を作るためには、まず画家が原画を描き、それを元にそっくりに版が起こされる。それから刷り師がそれを印刷する。つまり、今から想像するに、気の遠くなるほど手間のかかる作業なのである。20世紀前後になると、印刷技術とともに写真技術も飛躍的に進歩して来て、銅版画や鋼版画、石版画だけではなく、クロモリトグラフ、ヘリオグラビュール、フォトグラビュールなどなど、様々な技が駆使されるようになる。私にとっては、いくら複製のための産物とはいえ、この時代の技術も今となっては実に美しいものに感じられる。

18世紀後半のヨーハン・カスパー・ラヴァーターの名著『観相学』より。ルーベンスの絵画を元に、ウィリアム・ブレークが版画に刻んだ、デモクリトスの顔の銅版画。今では超有名なブレークも一職人として働いていたことをうかがわせる一枚。
18世紀後半のヨーハン・カスパー・ラヴァーターの名著『観相学』より。ルーベンスの絵画を元に、ウィリアム・ブレークが版画に刻んだ、デモクリトスの顔の銅版画。今では超有名なブレークも一職人として働いていたことをうかがわせる一枚。

よく考えれば、私たちの両親の幼い頃の写真はまだ白黒だったなあ・・・その時代はまだ写真の印刷は手間だったのかなあ・・・
「これをどのように使ったらいいですか?」 用事でお訪ねするごとに、もうすぐ引退しますよと宣言される尚榮堂さんご夫婦は、とても楽しそうにお尋ねになるのだった。何か良い案のある方は、どうぞご一報くださいませ。