レコードと本

今回のエッセイは、「稀覯書」について書こうと決めていた。金沢に、日本でも有数の稀覯書の文庫があるので、そのことを書くつもりだった。けれども、私はこの数日、「本」のことを全く考えられずにいる。原因は「レコード」である。
きっかけは、金沢の映画館で、あるマイナーな音楽映画の上映が決定されたことを偶然レコード屋さんで耳にしたことだった。そのレコード屋さんは、稲垣雄志さんという方が店主のビーチパーティーという風変わりなレコード屋さんなのだが、私にとって稲垣さんは本屋さんなので、同業者として和気あいあいお話をしていたのだった。
私が古書の世界、とりわけ稀覯書の世界をすんなり理解できた理由は、レコードの世界、言うなれば稀覯書的なレコードの世界を知っていたからである。
世の中には、ものすごく高価なレコードがあり、日々世界中の蒐集家たちがそのレコードを手に入れるために情熱を燃やしている。
レコードにも本と同じく「初版ーファーストプレス」があるのだ!それは金額にすると、「後版」に比べて圧倒的に高価なものになる。ただ、その高さに理由はある、私は一度京都のあるバーで強烈な体験をした、そこで聴いたファーストプレスの60年代ソウルのドーナツ盤の音がとにかくすごかったのだ。溝が深いからとは一説に言うが・・・だがそんなに単純でもない、一度大阪で、とてつもない音質の悪いジャマイカの60年代の初版ドーナツ盤を聴き、やはり脳天を割られたような衝撃を受けた。何なのだろう、あの体験は・・・とよく考える。本の世界でも、初版が重んじられる理由は、単純にはひとつ、挿絵の版の彫りが深く版画の質がいいからで、レコードの溝の彫りの深さの話と実に良く似た世界なのだ。でも要は質が良い悪いだけの問題ではないことは確かだ。挿絵のない質素な本であっても、「初版」であれば、その物は特別な物になる。私はあのレコードの音を思い出す度に、「物」にまつわるこの不思議な現象に親しみを覚えずにはいられない。

さて、こうしたレコードにかかわる人たちは、たった一曲(つまりドーナツ盤、裏面は大抵要らない曲)を手に入れるために大変な労力を払うのだが、ポイントは、その場所にいる人がお金持ちだけではないことだ。ほとんどは普通の仕事をしている人たちで、もちろん若者も多く含まれる。彼らは、人生において、家や車、時計や服や宝飾品の代わりにレコードを買う選択をしているだけなのである。
稀覯書を取り扱っていると、よくお金持ちを相手に商売をしているんですね、と言われる。そうではないことを私は稀覯書という分野があることを知った時直感したし、またその通りであると年々益々体験し痛感している。今ここで、レコードの世界を例にとって改めて主張しておきたい。

大切な話がそれた。つまり金沢のシネモンドという素敵な映画館で、上述したようなレコードの世界を生々しく描いた映画(「ノーザン・ソウル」監督エレイン・コンスタンティン)の上映が決定したので、私もレコードのパーティーを主催することを決意した。金沢に越して知り合った、私のレコード熱をずっと理解し面白がってきてくださったレコード蒐集家山尾直人さん(レコード・ジャングル勤務)のおかげで、この度沖野ゆういちさんと堂井裕之さん(エブリデイ・レコード店主)、小暮直久さん、そしてYoshimitsuさん(S.E.L Records)といった素晴らしい方々と知り合うことが出来、レコードをかけていただくことになった。たった一晩のパーティーだが、もう一人大阪から木下悦子さんという友だちにも来てもらうことにした。彼女はある意味、この種のレコードを聴くためだけに20代始めから18年間もロンドンで暮らしてきた。彼女がどんなレコードを持って来てくれるかとても楽しみだ。

パーティーは3月16日に開催されます。マニアだけでなく、誰にでも参加していただきたいパーティーです。詳細は私のSNSをご覧下さい。