グランヴィルの植物観相学

連日暑い。もう暦の上では秋のはずなのだが、あまりの暑さにヒマワリの図譜が頭に浮かんできた。まずは、バシリウス・ベスラーの『アイヒシュテットの庭園』(1613年)からのヒマワリの図譜。ヒマワリが真正面から描かれている巨大な銅版画だ。山野草を愛でる感覚からすると正反対の豪華さで、目の前に迫ってくる。この図譜を初めて知った時には苦手だったが、なんだかどんどん惹かれてきた。彩色されたものよりも彩色されていないものの方がより迫力がある。

さらにヒマワリといえば。19世紀フランスの挿絵画家J.-J.グランヴィルの『生命ある花々(フルール・アニメ)』の中の挿絵を思い出した。この書物は、花々が人間の姿を取って活動する逸話を何編も収録したものだ。(註)ここではヒマワリは太陽を信仰するメキシコの首長である。彼は異教徒だとして火刑に処せられようとするところをザクロの花の踊り子に助けられる。ヒマワリと火のイメージ、さらにザクロの赤い色が重なると、もうとても暑い。

反対に涼しげな図譜はないものか。ページを繰ると睡蓮の図譜が目に入った。修道女の姿をしている。素晴らしく涼しい顔である。悪魔が彼女にちょっかいを出そうと試行錯誤するがどれも失敗する。左下に描かれているのが悪魔だろうか。ベランダのスミレの葉の陰のツマグロヒョウモンの蛹にそっくりだ。水辺の植物を見ていると心が安らぐ。早起きしてどこかに蓮の花が開く音を聞きに行きたくなってきた。蓮の図譜といえば、ウォルター・フィッチのオニバスが思い浮かぶ。一度は取り扱ってみたい図譜だ。数ヶ月前にお客様の元に行ったエリザベス・ブラックウェルのコウホネの図譜も懐かしく思い出される。(ブラックウェルのメロンの図譜

さらにページを繰ると、三色スミレの挿絵が出てきた。ロマンティックバレエのダンサーのような羽のついた衣装を身につけて、物思いに沈んでいる三色スミレ。ジゼルの第二部の音楽が頭に響いてきた。夜のお墓で死んだ乙女たちがよみがえって踊る、まさしくロマン主義的な場面。
19世紀前半のフランスで風刺画家及び挿絵画家として活躍したグランヴィルは、『生命ある花々』出版間際に精神の錯乱に陥り息を引き取った。愛する家族を次々と亡くしたせいだと言われている。彼の作品は芸術界の表舞台に出ることは長年なかったが、現在は、古書愛好家の間でとても人気が高く高値で取引されている。

(註)なぜ花々が動き出すかというと、彼らはこれまで人間の文学の比喩の役割を果たしてきたが、自分たちに人間が割り振った性格が真実のものかどうか確かめるために反乱を起こしたということである 。テキストは、当時の風刺新聞などで活躍したタクシル・ドロール。本来なら、稀少な挿絵本に触れる機会を持たないと読むことが出来なかった『生命ある花々』ですが、谷川かおる氏による抄訳が八坂書房より出版されていますので、ご一読をおすすめします。