等身大の畑 前編

大阪にいた頃、古道具担当は木工会社に勤め、休日は朝から晩まで京阪神を駆け回ってモノを見まくっていた。私はパートと家のこと、そして時々、古道具担当と知的障がいのある人たちの造形教室の手伝いをしながら、絵を描いていた。彦根に来てからは家のことと絵に加えて、店番をすることになる。そして畑も。

彦根の荒神山の周辺は、条里制の田園が広がっている。かつては東大寺の荘園だったという地域も近くにある。ご近所さんの多くは畑仕事が日課だ。うちの畑は約4m×11m。古道具担当の祖父亡き後は、村の方に守をしてもらっていた。越してきたばかりの私達は全くの初心者ゆえ、その方が教えてくださるという。せっかくあるのだから、と軽い気持ちで畑を始めた。

時は8月、まず秋冬野菜の作り方を教わる。土作りは既に先生の手で行われていた。苗や種を買ってきて植えて、追肥する。キャベツ、ハクサイ、レタス、ダイコン、カブ、ホウレンソウ。しばらくしてジャガイモ、タマネギ。今から思えば、最初から沢山過ぎるが、これは地元の通常レベル。教えてもらっているから、びっくりするほど立派な野菜が出来た。お世話になった方に送ったら、出荷しているのかと言われたくらいだ。

翌年の春には、夏野菜のレクチャーが始まる。ナス、キュウリ、トマト、ピーマン、トウガラシ、オクラ、枝豆とこれまた沢山だ。支柱を立てたり、ネットを張ったり、脇芽欠き、土寄せなど作業は続く。キュウリ用ネットを用意と言われ、間違えて防鳥ネットを買ってしまったりもした。2人暮らしなのに5つも苗を植えたキュウリは大豊作で、採りたての瑞々しさは衝撃だった。喜ぶと同時に、こういうことを今まで長いこと知らずにいたと思うと、恥ずかしい気がした。

初年度が終了し、2期目からは独り立ちだ。独り…?そう、いつの間にか畑仕事をするのは私だけになっていた。古道具担当は不耕起を説くが作業はしない。今思えば、家や店の大工工事と、開店の慌しさでそんな余裕もなかったのだろう。でもそれは私も同じ。若い頃に自然農の見学に行ったと聞いていたので、農作業に興味があると思い込んでいた。見学に行った理由を問うと「人間と自然との関係を考えるため」と言う。確かにそれは大事。流れでとりあえず、と畑を始めた私には学びも必要だ。“実践作業”と“学び”、両方のレベルを上げていくのが難しい。

晒しの反物に畑で採れたもの、自生しているもの、いただきものなどをペンで線描きする。
晒しの反物に畑で採れたもの、自生しているもの、いただきものなどをペンで線描きする。生活メモ代わりに、毎日使う手拭いに何か描きつけておこうかという気軽な思いつきによる。タマネギ、山椒、空豆、ダイコン、大葉、キュウリ……などなど。