東京の道具屋さん行脚

古道具担当は歳を重ねてはいるが、古道具屋としては10年にも満たない。それまでは木工所勤めの傍ら、休日に道具屋やギャラリー、古本屋などを巡っていた。大阪にいた頃は1日で京阪神各所を回ることもあった。本人は休日を満喫しているが、とても同行できるスケジュールではない。ある意味鍛錬して自分なりの見方を養っているので、若い頃の東京行脚について尋ねてみた。

そもそも古いものを見るようになったきっかけは、木工所に勤める前、彫刻の勉強に行き詰った30歳前後。古い造形に解決のヒントがあるかと、京都・東寺の弘法市や大阪・四天王寺や庚申堂の骨董市などに行くようになったという。元々仏像が好きなこともあり、興味は増していく。自宅住まいの独身だからコレクションも増える。始発で行っても「地元のもんには勝たれへん」と、30年前から既に業者並みの意気込みである。

別冊太陽の東京の骨董屋特集を見てからは、東京にも行くようになる。まとまった休みの取れるGWと年末年始に夜行バスで早朝に着き、JR東日本東京23区内フリーパスを片手に毎日回った。朝は花園神社や新井薬師、東郷神社の蚤の市、その後平和島や後楽園の骨董市、そして麻布、青山、京橋、目白、西荻窪、吉祥寺、国立の店々、神田の古本屋街で締めたら、新宿のカプセルホテルへ……。

「当時、雑誌でよく特集が組まれていた古道具坂田は、とてもインパクトがあった。美術品のように水準の高いものが多く、欲しいなと思っても値が張るので、自分にはまだ早いと思って買えなかった。その後、初めてヨルダンの壺を買い(東京のもんには勝たれへんから、電話で取り置きをお願いして)、企画展にも行くようになった。当時は店前にお客さんは並んでなかったし、関西からわざわざ来る人もおらんかった」。

1994年の「西アフリカの土偶」展に行った時のこと。1時間くらいかけて何点か絞り込み、坂田さんと話していたら、「店に一直線に入ってきて、自分には手が出ない品をボン!と買っていかはった人がいた」。その人はいつの間にか帰ってしまっていたのだが、それは後にギャラリーブリキ星を開いた加川さんだった。

花園神社の蚤の市では、李朝の婚礼道具である、木彫の雁の首をひとつだけ並べていたお店があった(本来は一対)。「首だけしかないけど、一見して古いものと分かる。それを他のガラクタと一緒に並べているのがすごい!」と思ったそうだ。他にも「これは何?」と聞きたくなるものが並んでいて、道具にまつわる話をいろいろしてもらった。古道具ニコニコ堂の長嶋さんとの出会いである。

「ニコニコ堂は居心地がよいというか、いろんな意味での自然な感じのバランスが程よいというか。現代の文人みたいな。場末の要素がありながらも、突出しようとせず、深く掘り下げる姿勢を感じる。道具に限らず、長さんの暮らし全体を自分のやりようを問いながら日々を過ごすというあり方、道具を扱う者としての、モノの捉え方が好ましく思う。道具を、世界を問う材料にしている」

今思えば、東京に通い始めた頃は、センスや見識のあるお店が多く出てきて、そこに集まるお客さんはモノの由緒や成立ちを踏まえて収集する感じだったそうだ。また、当時は民具が注目されだした時で、関西ではなかなか出会えない東北や新潟のものを見るのも楽しみだったという。

こうして、連日走り回ってゲットしたお宝を黒いナイロン製の旅行バッグにパンパンに詰めて、夜行バスで大阪に戻る。そして次の休みまで、週6日、朝8時から夕方5時まで木工職人として働くのであった。

ニコニコ堂の長嶋さんが作った人形たち。たまたま身の回りにあったものと、造形から遠ざかる素材を使って作られたそう。独特の風合いで、初めて見た時は「?」と思ったが、よく見ると細かな配慮がされ、不思議な魅力がある。