「うちの2階にあったもの」展

店には、かつての炭や薪の在庫置き場をほぼそのまま残したギャラリーがある。コロナ前は春と秋、コロナ以降は年に1回、企画展示をしていた。少ないけれど、無理せずにゆるいサイクルでやっている。企画は古道具担当が考える。毎回複雑にさまざまな要素を絡めて内容を練っていくので、企画が固まるまで時間がかかる。シンプルな内容がよいのに、と思うが、それでは納得いかないらしい。

最初の展示は2015年の夏、「お盆と器」。奥明日香の陶芸家・田中茂雄さん(名前は当時の表記)と東近江市君ヶ畑の木地師・小椋昭二さんの二人展だった。以降、地元にゆかりの展示、現代美術家・堀尾貞治氏、山下克彦氏の二人展や個展、堀尾さんの追悼展、アトリエひこ作品展、古道具担当の父の写真展などをしてきた。加えて、古道具担当の大阪での個展、店番の東西各所での個展もあった。

企画展以外の時は古道具の常設で、1、2年くらいの間は自分たちなりにタイトルを付けた小展示をしていた。その中で「うちの2階にあったもの」展というのがあった。その名の通り、古いこの家に残されていた昭和のモノたちを並べた展示で、祖父母の店の時の在庫の鼻緒や下駄の雨除けカバー、ノベルティグッズ、生活の中でやり取りされた贈答品、プラ蓋のガラス保存ケース、プラスチックトレー、衝立、洋裁雑誌、手編みのケープ、手作りのサイドバッグや人形……。小さい頃うちにもあったなぁ、と昭和に育った人なら懐かしく思うような、とはいえ、イケてるものはごくまれで、多くはわざわざ特別にとっておこうとは思わない、そんなモノたちが多かった。案の定、売れる感じはさほどなく、楽しんでくれた方はいらしたけれど、お客さんは少なかったと思う。あってないような展示期間が終わり、行き場のないいくつかのモノは在庫のまま、一部はそれなりに店や台所で活躍してくれている。

そんな地味な展示の意図は、「関係性で引き立つモノの本質が見えてくるような試み」だったらしい。それぞれのモノのセンスの善し悪しを超えて、何かを見出していくという目線を提示する、そこから共感や安心を感じてもらえたらよいと思ったそうだ。

「古い家に残された、一番最初に捨ててしまいそうなモノたちは、時間が経ってから考えたら、捨ててはいけないと思うかもしれない。何でもすぐに捨てるのではなく、手放す」。

確かに、残存物にはその家の日常がとどめられているが、それを片付けていく段取りになるとほぼ捨てられる。時間と手間をかけてそれらを受け止められたら、モノを片付けても自分の中に何かが残り、次に繋がっていく、そういうことだろうか。

このような見方は、堀尾さんや古道具ニコニコ堂の長嶋康郎さんの影響が大きい。堀尾さんは、いつでもどこでも何を引っ張り出してきても自分の作品にしてしまう美術家。長嶋さんも、どこでも“長さんの空間”を作りだし、独特の捉え方でモノを語る。

「うちの2階にあったもの」展は面白い試みだったと思うけれど、お客さんに伝わったという手応えが少なかったせいか、自分の中にざらざらした感じを残している。伝え方がうまくなかったのもあるが、地味なものは映えないし、伝わりづらい。古道具担当には、今思うとうまく掘り下げられずに「のどに小骨がひっかかったような感じ」があるという。 企画展は、見るべきものを選んで並べる。会期があって、終わった後にはそれなりに総括することができる。でも、常設は日常的なもので、しばらく、またはしばしばずっとそこに在る。時には弛緩した空間になったりして、時間は過ぎていく。そんな時間の重なりが空間を作っていく。同じものがずっとそのまま置かれている店内には目新しいものがない、ように思われるが、それこそ「うちの2階にあったもの」展のような状態が保たれている、と言えなくもないのでは……。この“日常”は、誰かに見出されることはあるのだろうか。

これぞ、“うちの2階にあったもの”の代表のような陶器。絵柄はプリントとはいえ細やかで、チープなかわいらしさがある。使ってみると容量約140mlと絶妙で、薄さが心地よい。特別に高価なものではなく、ふつうだけどそれなりにちゃんとしていて、一昔前の真面目な、作り手の考えが伝わってくるように思う。
これぞ、“うちの2階にあったもの”の代表のような陶器。絵柄はプリントとはいえ細やかで、チープなかわいらしさがある。使ってみると容量約140mlと絶妙で、薄さが心地よい。特別に高価なものではなく、ふつうだけどそれなりにちゃんとしていて、一昔前の真面目な、作り手の考えが伝わってくるように思う。