これは一体何ですか?

ひしゃげたビニール製ブックカバー

 

数年前のこと、夫が古道具市で何かいろいろ仕入れてきた。というよりも、“好きなもの”を買ってきた。若い道具屋さんたちが新年に催す市で、毎年楽しみにしている。夕方、買ってきたものたちが畳の上にそのまま広げられていたので、隅の方にまとめて置いた。中によくわからない茶色く色褪せて変形したビニールがあったので、それはゴミ箱に入れた。

しばらくして夫が騒いでいるので尋ねてみると、買ってきたものがないという。もしやと思いゴミ箱から出したら、探しものはまさしくそれだった。とても怒っている。しかし。経年劣化して、変色したひしゃげたブックカバー。B6判の、おそらく簡易な紙の表紙の、全集ものに掛けてあったような。しかも、長い間陽の当たる本棚にずっと置きっぱなしにされて、隣の本の表紙と引っ付いてしまったのか、黄ばんだ紙片の斑模様がある。え、これ古道具?尋ねると、「イケてる、かっこいい」。無機質なビニール素材が経年で劣化することで、柔らかさを帯びて、有機的になって、やがて無くなっていくことに近づいていく。そういう自然の摂理を感じたんだそうだ。物理的にも古くなって、そこに当たる光の、通過と反射も複雑になっている、とも。

古くなることで、かつてあった時間を思わせる。用途という務めを終え、元に戻ってゆきつつあるもの。そういう状態のものたちは、道具としての実用からは遠い。観てあれこれ考えをめぐらすだけのもの。まして劣化したブックカバーなどは、どこに置いても見栄えのする、というものでもない。でも、古いものを長い間、数多く見てきた人にとっては何かがあるのだろう。実際そのブックカバーは、北欧のアンティークと共に並べられていたのだそうだ。

ビニールやプラスティックは、今は環境に負担をかけるものの代表のように言われる。琵琶湖の魚にもよくない影響を及ぼしていると、ニュースでも聞く。私もどちらかといえば自然素材がよいと思うし、夫は木を好む。でもビニールにも気を注ぐ。「人間に重宝されてきた時代背景を思うと、そんなふうにばかり片付けてはいけないし、邪けんにしてはかわいそうやで」。ビニールの劣化した質感に心を寄せる人が、何人か思い浮かぶ。

行きがかり上、古道具の店番をしてはいても、日々の雑事に追われて過ごしているので、しばしばそういう視点をスルーしてしまう。古くて美しいものはいろいろある。それは私も好きだが、その美しさにはいろんな方向がある。そもそも、美しさって何だろう?意外な一品は、一歩踏み込んで考えると、ちょっと違った見方が出てくる。それは何だろう?自分の中ではまだうまく納まらないまま、しばらくある。