勝手口のある倉庫に、古いマネキンがある。和装用のディスプレイとして使われていたもので、髪はアップに結って、軽く腕を曲げてポーズをとっている。ほぼ実物大の女性像だ。樹脂製だが、着せた物が滑らないようにするためか、両腕の部分は布で、中に詰め物がしてある。胴にも紙が貼られているが、あちこちはがれている。一体何でこんなものを仕入れてきたのかと思ったら、古道具担当は彫刻という視点から、このマネキンを見ているようだった。
古道具担当は20代の頃、京都で彫刻の勉強をしていた(「彫刻する人たち」参照)。アトリエには、マネキン会社に勤めていた先輩や、後に有名美術作家のフィギュアを手掛けた人、マネキン会社の元社長も学びに来ていたそうだ。オシップ・ザッキンに彫刻を学んだ経験もある元社長には、作品を誉めてもらったこともあったという。
京都はマネキン発祥の地、ということを情報番組で見たことがある。元々は島津製作所が始まりで、明治時代の標本製造から人体模型、マネキン、という繫がりらしい。自分が知る島津製作所のイメージは、精密機器メーカーで、ノーベル化学賞の田中耕一さんくらいなので、マネキンを作っていたというのは意外だった。どれも大きく科学、と考えればそういうことなのかもしれないし、時代の流れで会社組織と事業形態というのは大きく変わっていくものなのだと今更ながら思った。
この古いマネキンを、古道具担当は平安蚤の市に持って行った。その時店番は休んでいたので、現場での反応にはじかに接していないが、ご覧になった方々はどう感じたのだろう。きっとびっくりしたのでは…。思った通り、マネキンは場を賑わせただけで、古道具担当と共に家に戻ってきた。
「道具三人」という言葉を聞いたことがある。自分が、“いいな”と思った道具を気に入る人は、3人はいる、ということらしい。まだ古道具担当が大阪で働いていた頃、夜行バスで東京の道具屋さんに「がらくた展」を見に行った時のこと。東京と福岡の2店の合同企画で、早朝から並んで開店を待った。ようやく入って、展示された道具の中から選びに選んだベスト3を購入した。それらは主催の2人と全く同じチョイスだったので、3人で驚いたそうだ。
このマネキンにも、目を留める人があと2人現れるのだろうか。店番的にはそんなことはあり得ない、と思うが、京都の製造業の歴史の一端や、彫刻に関わる要素が含まれているということで、古道具担当は納得しているようだ。それなら、背景や彫刻的なことをさりげなくでもアピールできるように、 “ちゃんと置いてあげたら”どうか。今は倉庫に押し込まれたマネキン。毎日出入りする度に目の端で見ては、何だが可哀そうになるのだった。

道具の在庫に取り囲まれているマネキン。
曲げた左腕と指先で、いわゆるしなを作っているが、真似してみると同じような形をとるのはむずかしい。
展覧会情報
古道具担当が若い頃に通っていた、山本アトリエの展示のお知らせです。
「追想 山本アトリエ彫刻展 山本恪二(1915~2000)と弟子たち」
山本恪二は、東京とフランスで学んだ後、京都で活動した彫刻家です。自宅のアトリエを私塾のような形で開き、大学で彫刻を学んだ人、画家、仏師、修復師、マネキン製作者、美術教育未経験者まで、多くの弟子がアトリエで学びました。山本恪二の没後25年を記念して、山本恪二と自宅に開いていたアトリエの弟子たちの作品が並びます。*山本恪二作品は、前期と後期で入れ替えあり
前期 3月18日(火)~23日(日)
後期 3月25日(火)~30日(日)
10時~17時(23日、30日は16時まで)
休み 3月24日(月)
場所
山本アトリエ
京都府京都市東山区 本町15丁目388
075-561-8203(後藤)
