等身大の畑 後編

引っ越した古い家に畑があったから、ということで始まった畑仕事。しかし、新たなことの習得は若い頃のようにはいかないし、繰り返して覚えようにも翌年まで試せず、天候の状況は毎年違う。とはいえ、出来ることはやってみて、台所の自給率を上げる、そして、採りたてのおいしさを味わいたいという気持ちから、畑は継続したい、とは思う。

先生に教わったメモと本を見ながらやってはみるものの、理解が足りずにやることが後手後手だ。多品種の輪作がややこしくてうまく回せない。低血圧で体力がない。慣れない新生活で気持ちにも余裕がない。畑の学びどころか、絵も描けずにどんどん時が過ぎる。

問題なく出来るのはピーマンと伏見トウガラシだけで、作る品種は年々減っていった。無農薬(よく言えば)なのにまめに手入れをしないので、いつしか畑は雑草が群生し、気力も後退。きれいに整えられている周囲の畑を見ると、あまりの落差に肩身が狭い。顔を合わすベテランさんにも、気軽に尋ねられなくなった。

それにしても、園芸店で種を買ってみて驚いたのは、原産地が外国だったことだ。国産は、赤カブやホウレンソウくらい。もう、ここからそうなのか、とショック。何も知らずに今までいた、とまた思った。試しに自分で採取した種を蒔いてみたら、その年はまあまあの出来でも、だんだん生育が悪くなった。

長いコロナ禍、店のことなどで気が塞ぎがちになる。古道具担当は介護職もしているので、生活リズムは変わらないが、前向きな気持ちを保つことが、日々の重要課題となる。畑も気鬱の一因となっていた。時間もとられるし、夏は暑すぎるし、もう止めようか。そんなふうに引きずっていたが、どうせうまく出来ないなら、半分にしてもよいのではないか、と思い始めた。

使えずにいるスペースを、積極的に土を休ませる、とする。4割使って4割休耕、残りを宿根草園芸空間にして、秋明菊や萩、桔梗、ブルーサルビアなどを植えてみると、花で気持ちが少し明るくなった。夏には、休耕部分に大葉やバジルがこぼれ種で勝手に育つ。手を入れない方が、かえって元気だ。簡単な輪作方法も見つかった。

以前、大阪のバスの中で聞いたラジオ番組。子どもが、科学者の柳澤桂子さんに、「命はどこにありますか」と尋ねていた。どこというのではなく、動いているということが命なのだ、というような答えだった。また、彫刻家の吉田哲也さんのコメントも、しばしば心に浮かぶ。無気力だったり意志薄弱に終わった1日を、良いとか悪いとか分けたりしないで受け入れる…ということ。体も心も、動く、と、動けない、を、行ったり来たりしながら進んでいく。

この地域の高齢化率は40%近い。使われない畑も増え、黒い遮光シートに覆われていたり、一面ソーラーパネルのところも多くなった。景観に抵抗はあるが、近場でエネルギーを賄っているということか?などと思いながら畑に向かう。こんなふうに、だんだん耕作地は減っていくだろう。ならば、自分のレベルを認識しつつ、続けていたらそれで充分なのではないか。余力がある時に、懸案の解決法を探すくらいの感じで。気力が減退した時は休めばよいし。台所のゴミから畑、そして食までの繋がりが出来て、結果おいしく野菜を頂けたら、それで。

川に水を汲みに行くと、さらさらと変わらずに水は流れ、帰りは荒神山に日が沈む。どの季節もその時々できれいだ。そんな畑仕事の副産物を、あぁ、いいなぁ、と、ただ眺めながら、家に戻る。

 

畑の友、一輪車。義理の祖父がしたのだろうか、本体部分に古い板が括りつけられて、骨組みは錆々。板がゆるんでガタつくので、古道具担当が修理。大きなものも運びやすく、見栄えも少しよくなった。