モリスの椅子

我が家には、古い肘掛け椅子が二脚ある。祖父の形見だ。祖父の叔父の養子先であった醤油屋さんにあったものだが、そこは幕末に藩士をかくまっていたとのことで、椅子を見るたびに想像が膨らむ。洋風の椅子だが、脚の間に木の板が渡されていることから、和室で使われていたことが明らかだ。結婚したときに布を張り替えて金沢へ持ってきた。生地は、ウィリアム・モリスのBrer Rabbitを選んだ。十年経ち、擦り切れてしまった。今年中には張り替えに夷川町に行きたいねと夫と話している。

モリスといえば、書物と実に深くかかわった人物だ。インキュナブラ時代の書物を愛し、古い写本を愛し、学んで創作した。モリスの出版したケルムスコット・プレスの書物は、稀覯書の世界で最も愛されているものの一つであろう。若い頃、ハマースミスの彼の邸宅を見学したとき、その暗い内部空間に深く感動した体験は忘れられない。当時の私にとって、モリスは、中年女性が好む模様のテキスタイルを生み出した人にすぎなかった。ところが、ロンドンのあの暗い大気の中で、ずっしりと冷たいレンガの重みとともに体験したモリスのタペストリーは心に染みた。今は私も中年になって、すっかりモリスの模様が好きになってしまったとしみじみするような。

モリスは戦前の日本でも広く愛されていたようだ。最近ふと、書棚を見ると、彼の社会主義ユートピア小説News from Nowhereのドイツ語訳が目に留まった。数年前の仕入れの際に私の元にやってきたものだったか。ドイツ語のため商品化を躊躇し、棚に入ったままになっている。気になって読みたくなった。そのストーリーは次のように始まる。主人公がある朝目覚めると百年後の世界にいた。テムズ川は澄んで輝き、マスが泳いでいた。マス釣りが出来るテムズ川・・・この表現には相当な意味が込められている。というのも、産業革命によって乱立した工場の排水などで、モリスの生前のテムズ川は最大限に汚染されていたからである。ところが、晩年、政治活動に疲れたモリスはそんなテムズ川に竿を垂れたという(註)。

芥川龍之介は、東京帝大でモリスの文学作品で卒業論文を書いた。当の論文が消失していることから、その内容については様々な憶測を呼んでいる。農家の生まれだったが勉強がよく出来て京都帝大を出た私の祖父は、芥川作品をテーマとして卒業論文を書いた。芥川が死んで間もないころだったと思う。当時でも、「現代作家」を研究題材としたことに驚かされる。何をテーマとしたのだろうか。古文が好きだったから、その手の作品か。祖父はその後戦争に行って片腕を無くした。年取って初めて尋ねたいことが次々とあるが、すでに亡くなって久しい。

(註)近くの棚に並んでいたスタンスキーのモリス論(1989年)にこのようにあったが、いずれ一次資料を調べたいところだ。