古書店と目録

パクストンのトリカブト図譜(1838年)
パクストンのトリカブト図譜(1838年)

 長い間手元にあったトリカブトの図譜に、お客様からご注文が来た。ご主人が漢方の研究をなさっているので、室内に飾るのに面白いと思われたとのこと。お送りしようと図譜を取り出してみたとたん頭に浮かんだのは、白山に今ごろ咲き乱れるトリカブトのお花畑。私はもう何年も白山には登っていない。北陸に来た当初は、日本アルプスのスケールの大きさに感動して、その後白山の奥深さにも感動して、シーズンは多い時で毎週末山登り。雨の中の荒島岳にも登ったり、私なりに熱心に山登りに挑戦した。けれども、東京に三年間暮らして「本」に出会った後は、頭の中は「本」のことで占拠され、すっかりいそがしくなり、さっぱり山に登らなくなった。
 今は本と一緒に屋内にいてばかり。そういえば、私の故恩師の口癖は「室内探検家」だった。私もいよいよそんな探検家になれそうかな。

 前述のトリカブト図譜は、ロンドン万国博覧会の水晶宮(クリスタル・パレス)を設計した人物として美術史上(建築史上)名高い、ジョセフ・パクストンによる1838年のもの。添付のテキスト(註)を読んでみると、なんと「シーボルト」の名があった。そこに記されていたのは、この植物がフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトによって日本より持ち帰られ、1833年に西欧に紹介されたということ。シーボルトがツッカリーニと『日本植物誌(Flora japonica…)』の第1巻を刊行したのは1835年。パクストンのこの雑誌が出版され始めたのはその前年、この版画の刷られたのはその三年後の1838年だから、それこそまさしくシーボルトによって引き起こされた異国植物ブーム真っ只中の記録と言えるのだ。
 こうした発見にはいつも心が踊る。「シーボルト」と「パクストン」の名前が結びつくとは! 私は目録に書いた、「しべに施された白い手彩の小さな点と花弁の深い紫色のコントラストがハッとする美しさ」と。お客様に送る前に、もう一度そのしべの白さを目に焼き付けた。

 目録とは、あくまで古書のことが客観的にわかるようにするためのものなのだから、そこに自分の感想まで書くのは少々ルール違反かもしれない。修業先でやっていたことはもっぱら目録のためのデータ取りだったし、本屋さんにとって一番大事な仕事の一つが目録作りだと習った。そんなわけで開業してからも目録を作ることを大事にしているが、事業主になると、残念ながらそれ以外の雑用が多すぎて目録作りに集中することは難しい。とはいえ、今また目録作りを始めた。十月の展示会までになんとか発行したい。

 日々いそがしい合間をぬって、ドイツ20世紀初頭の芸術学校バウハウスの百周年を記念する展覧会を見に京都へ来た。展示ケースの中に、日本の建築雑誌のバウハウス特集があった。数年前ドイツで取引先本屋さんに立ち寄った時手に取った本と一緒だと、懐かしく思い出す。そこで計画されていた目録のデータ取りを手伝った中にたしかにあった本だ。あのときは、データ取りが楽しく時間が過ぎるのを忘れた。美術館を案内してくれようとしていた同業者は、私に気を使って焦って言った、「レンバッハ美術館閉まってしまう!」。私は反射的に答えた、「美術館にあるようなものが今私たちの目の前にあるでしょ!」。「たしかに。」。
 本屋さんってなかなか良い仕事だと思っている。

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(註)図譜を売る場合の版画業界の習わしとして、本の状態からバラされた時に、それぞれの図譜に関連するテキストページを添えるということがあります。