なでしこの図譜

ジェームズ・エドワード・スミスのなでしこ図譜(1791~92年)
ジェームズ・エドワード・スミスのなでしこ図譜(1791~92年)
 私は金沢の街中のマンションに住んでいる。マンションは鈴木大拙の生誕地に建っており、近くには本多の森がある。森から飛んで来るヒョウモンチョウがベランダの小さなスミレ畑に卵を産んでくれるのが楽しみの一つだ。

 森からの虫や鳥たちは大抵歓迎だが、たまに来ていただきたくないお客も。例えばそれは夕顔に来る蛾の巨大な幼虫。光源氏という名前で呼んでみても、どうしても好きになれない。私は虫めずる姫君のようにはなれないのだなあと思いながら、大好きなマリア・ジヴィーラ・メーリヤンの版画の仕入れを模索する日々である。

 今年も為朝百合の茎がぐんぐん伸びてきた。気がつくとまだ小さな蕾の周りにアブラムシがいっぱい。この方々も私はあまり好きじゃない。自然はいつも厳しい。田舎の畑で夜盗虫と格闘している両親のことを考える。田舎育ちではあるけれど私にはやっぱり田舎暮らしは無理なのかな。今の私は便利な街中で本を商うことばかり考えながら暮らしている。「アルプスの少女ハイジ」は、フランクフルトという大都会で本を読むことを学んでアルプスに帰った。友人にこのことを教えてもらって以来、「ハイジ」のことを自分になぞらえては自分を勇気付ける。私も神保町という都会で本のことを習って、金沢の市中の山居に戻ってきたと。ハイジのようにのびのびと生きていきたい。

 昨年、山野草園で見つけて我が家に来てもらったなでしこが、小さな鉢から元気にたくさん咲き出した。なでしこを見ると祇園祭の時期だと思う。私と同じく田舎に育ったけれど鉾町に嫁いだお友達はどうしているかな。今年も会いに行こうかな。

 我が家のなでしこは、純血種ではなく、河原なでしこと伊勢なでしこの混血だ。この鉢の花は目にした瞬間どうしても持って帰りたくなった。その理由は、私の宝物であるジェームズ・エドワード・スミスのなでしこ図譜(1791~92年)にそっくりだったから。この図譜は、一度も本の形になることなしに現在まで伝えられてきたもの。

『ボタニカル・マガジン』のなでしこ図(1795年)
『ボタニカル・マガジン』のなでしこ図(1795年)

 なでしこといえば、『ボタニカル・マガジン』(1746年創刊)にも日本風のなでしこ図が一枚入れられている。この雑誌の発行者ウィリアム・カーティスは、「異国の花々」をテーマにしてこの出版物を計画した。それ以前に、ロンドンの身近な花々の本を出して大失敗し、大きな負債を抱えていたのだ。結果この雑誌は大成功をおさめ、英国の植物図譜の代表的な存在となった。(現在でも『キュー・マガジン』として刊行され続けているほど。)もちろん『ボタニカル・マガジン』が成功したのは、購読者にとって内容が異国情緒溢れるものだったからだろう。しかし、この図譜のなでしこを見てもわかるとおり、西洋人にとっての「異国」は我々にとっては身近なものなのだ。

 母が18世紀のなでしこが咲いたよと展示会に持ってきてくれた。それは庭仕事の大好きな母がどこかの種苗店で買ってきたもの。私の手元にあるのは、ドイツのヤーコップ・シュトゥルムの18世紀のなでしこ図。母に見せたら自分の家の壁に掛けたいと言った。

ヤーコップ・シュトゥルムのなでしこ図(18世紀頃)
ヤーコップ・シュトゥルムのなでしこ図(18世紀頃)