抒情モダニズム

 6⽉はあまりに⼼せわしなくて、佐藤逹さんの京都での展覧会に⾏けなかった。佐藤さんは、パリ在住の幾何学構成芸術の画家さんで、もう50 年も彼の地にいらっしゃる。ふとブログを検索したら、懐かしい⽅々のお顔を⾒ることが出来、幸せな気持ちになった。パリという名前は、いつも私にものすごい憧れの気持ちを巻き起こすが、私はやっぱり慣れたベルリン⾏きの⾶⾏機を、商い崖っぷちの仕⼊れのために予約するのだった。

 今年も昨年と同様、⾦沢の⽯⽥屋gamadan で、声楽家の東朝⼦さんと、⽵久夢⼆をテーマとしたコンサートと展⽰をさせていただけることになっていたが、うっかりしていると時間が経ってしまって、慌てふためいての打ち合わせ。その後、gamadan の⼋⽊勢津⼦さんが作って下さったチラシを⾒てびっくり。ちっとも夢⼆らしくない。私が素材としてお渡しした、1930 年代のベルリンの建築案内本の表紙を格好よく使って下さっている。夢⼆なのに夢⼆らしくない催しってちょっと⾯⽩いんではないかと悦に⼊る私。
 さて、そのコンサートには急遽、⾦澤攝さんもご参加くださることになった。以前にも書いたバウハウスコンサート企画と関連づけての開催が決まったからだ。バウハウス設⽴年の1919 年にドイツで作曲された曲として、ヨゼフ・ハースという(今となっては有名でない)作曲家の曲が演奏されることに。聴かせていただくと、前モダニズムとモダニズムが仲良く同居した素晴らしい曲。他には、東さんと⾦澤さんが同じハースの歌曲に取り組まれる。作詞はリヒャルト・デーメル。当時の最重要詩⼈の⼀⼈だ。同時代の⽇本でも好んで読まれて、鷗外の翻訳もある。
 東さんが、同じ1919 年に夢⼆が作詞して、澤⽥柳吉という⼈物によって作曲された曲を⼆曲、発⾒された。これは良い⽐較になるのではないかと、プログラムに盛り込もうと⾦澤さんに打診してみると、⾯⽩いご反応が。これはあまりにもひどい、ピアノの⾳⾊感が全くない、私が作曲しましょうか、とのこと。ぜひお願いします!とすかさず厚かましくお願いしつつ・・・とはいえ、この曲も今からしてみれば⽇本の歴史なのですから取り上げましょう、ぜひ演奏してくださいませんか、と懇願。同じモダニズムでも⽇本におけるそれのムズムズする感じ、夢⼆の美⼈画とよく似ている。

 そういえば・・・つい最近神保町に⾏った折、ミュンヘンの同業者(ドイツ⼈)の仕⼊れに同⾏した時のこと。究極にモダンな恩地孝四郎を求める彼は、恩地作品所収の戦前雑誌に、恩地以外の作家による「可愛らしいメルヘンチックな」作品が差し込まれていると、その度に仕⼊れを避けては不快感を表し疑問を呈していた。そうなのだ、そうなのだ、しかしそのような傾向も、⽇本の戦前⽂化には無視できないものなのだと切り返し説明しつつ・・・やはり夢⼆のようなものは欧⽶ではウケないかもしれないな・・・とぶつぶつ考えていた私に、蓜島亘さん(⽴原道造研究者)から素晴らしく簡潔なお⾔葉が⾶んで来た、「⽇本⼈は、モダニズムを「抒情」という⽂脈で理解して来たんです」。たしかに!「戦前モダニズムに詳しい⼈の間では常識ですよ」。えっ、どこに書いてありますか?

 関⻄におけるモダニズムを再考するに当たって、この2年弱私にとってのキーパーソン、デザイナーの藤脇慎吾さんから、9 ⽉のバウハウスコンサートのポスターデザインが届けられた。藤脇さん、記さないといけないことをまだぐずぐずとこねくりまわしていて本当にごめんなさい。この場を借りて懺悔。世の中には、知られざる歴史がそこかしこに眠っており、誰かに記してもらおうとしても⼀向にされないので、⾃分でやるしかないということが結構あるものだ。