私がモザイクに夢中になったのは、モザイクを作りはじめてからです。なんてのんきな!と呆れられてしまうかもしれませんが、確かにのんき。
イタリア・ラヴェンナの工房へ通う事を決断して日本での職を辞し、準備を始めた頃は、なんとなく心のひだに引っかかったもの=モザイクを、とにかく飽きるまでやってみよう。飽きたら帰国しよう。といった心持ちだったように思います。モザイクとの出会いはまた改めてお話しします。

という石工道具でズマルトをカット中。
モザイクでは石の固まりから専用の石工道具で、モザイクを構成する最小ピースであるテッセラ(石片)を割り出します。そしてそのテッセラをあるべき位置に配し、全体をつくり始めます。最小のテッセラだと2ミリ角になったりもしますし、本当に細かく、気の長い作業です。朝から晩まで作業して、10センチ四方も仕上げられない、なんて事も。
その中で、何が私の心を惹き付けたかというと、それは「時間」でした。
必要な色の大理石を探す時間、テッセラを割り出す時間、それを並べる時間。レプリカ制作時は見本となる古代のモザイク等の写真を傍らに置き、穴があくほど見つめます。最初の頃はモザイク工房独特のこれらの時間がもどかしく、どうにか効率化できないか悶々としていたのですが、一つ、また一つと作品を作るうち、工程を繰り返していくうちに、自分の外に流れていた時間が、内側にも入り込んできたようでした。

カルチェ(石灰ペースト)の上に石を配置。

『アレキサンダー大王の戦い』のレプリカモザイク設置中。
現在はポンペイの遺跡で見る事ができます。
焦りを感じていた心がだんだんと静まり、頭がクリアになり、目が指先と繋がって、自分が出来る一番早い道筋でもってじわりじわりとモザイクを広げていく。頭と目と手がきれいに繋がって整頓されるような感覚です。何人もおしゃべり好きのイタリア人が居る工房なのに、心地よい沈黙が広がり、石を割る音と、ラジオの音だけが響きます。
もちろんそう上手く行く日ばかりではないのですが、そういう時は濃いエスプレッソと旬のジェラートが助けてくれます。今思えば、工房の隣がほどほどに美味しいバール(カフェ+タバコ屋)、その隣が最高に美味しいジェラテリア(ジェラート屋)という最強の立地でした。イタリア人は休憩上手なのかもしれないですね。
現在、いくつか東京でモザイク教室を開講しているのですが、それぞれの教室にはそれぞれの雰囲気があります。でもこのモザイクの「時間」だけは共通して流れている。そう、思います。