第9回 八ヶ岳・赤岳で冬山にタッチ!

 新田二郎『孤高の人』を読んでから、私の中に冬山のイメージはできていた。いつかその世界を見てみたいと思っていた。でも、いくら私が夏山では"単独行"とは言え、加藤文太郎のように冬山に一人で向かう勇気も技術もない。まずは安全に行ってみよう。と思い、初めて「山岳ガイド」さんと登るツアーに参加した。参加者は私一人だったので、実質プライベートガイドのような形で、冬の南八ヶ岳は赤岳(2899m)へ。
 

 一日目は、美濃戸口から赤岳鉱泉小屋を目指す。八ヶ岳一帯には、通年営業している小屋がいくつかあり、この時期はロック・アイスクライミングや、冬山登山の愛好者で賑わう。「山に惚れ込んでいる」といった感じの人ばかりで、夏山のウキウキしたムードとはちょっと趣が違う。最初から雪の中をラッセルしていくものとばかり思っていたのだが、北アルプスや新潟の山と違い、八ヶ岳は積雪が少なくて、既にたくさんの人が行き来して道がついているので、夏の登山道をほぼそのまま歩いてゆける。 

朝、それぞれのルートへ散らばっていく
朝、それぞれのルートへ
散らばっていく
美濃戸からの林道。カラマツからシラビソの林へ
美濃戸からの林道。
カラマツからシラビソの林へ
ガイドの佐藤さんの後ろを歩く
ガイドの佐藤さんの
後ろを歩く

 

 シラビソの林、いくつも渡る沢。「例年ここの沢は凍るんだけど、今年はあったかいんだねえ」とガイドの佐藤さんが教えてくれた。実際、今回の山行中にアイゼンの威力を実感したのは山頂周辺の時くらい。本来なら八ヶ岳の気温は−10℃から頂上付近では−20℃になり、ガチガチに氷った斜面をアイゼンの歯で蹴り込んで登っていくのだそうだが、冬の八ヶ岳にしては暖かかった今回は、さらさらの雪の上をとても快適に歩いていけた。よかったような、残念なような。
 

 それにしても雪のやわらかさと言ったら!ゲレンデならよく冷えた晴れた朝に運良く出会えるパウダースノーが、あたりまえのように続いている。天候のおかげもあったのだろうけど、冬山は思ったよりずっとやわらかくて優しかった。絹よりもっとやわらかく、空気に近い質感でふんわりと包んでくれる。冬山は「天国か地獄」と言われる。私は初回にして天国の方を経験させてもらったみたいだ。

赤岳鉱泉小屋。人工の氷壁アイスキャンディ
赤岳鉱泉小屋。
人工の氷壁"アイスキャンディ"
夕食はステーキ!木の温もりも嬉しい通年小屋
夕食はステーキ!
木の温もりも嬉しい通年小屋
行者小屋からの赤岳
行者小屋からの赤岳
 

 

 赤岳鉱泉小屋では美味しい夕食を食べた後、佐藤さんと飲みながら山の話をした。彼は新潟県人で初めてエベレストに登頂した、県内では数少ない山岳ガイドの一人。壁の登攀ガイドもしていて、58歳とは到底思えない精悍な佇まいをしている。「目標があるから努力できる」「人と同じことをしていたら同じ山にしか登れない」・・・日々並でない努力を続けている佐藤さんだからこその言葉が、心に響いた。
  

 二日目、文三郎尾根からいよいよ赤岳山頂へ。凛とした銀色の空。曇りの予報だったが、山頂まで望めるほどに空気は澄んで、時折青空が覗くと、太陽が山の稜線を真っ白に光らせた。夏に登った時にはハシゴを上がった急斜面も、雪に覆われているのでステップを作りながら一歩一歩登っていく。後ろを振り返ると、雪がついた木々の一本一本が見えるようなクリアさで、山の起伏が眼下に広がる。北八ヶ岳の峰々も向かい側にそびえ、雲の先の遠くには蓼科、南アルプス、乗鞍・御嶽山・・・。

来た方向。森が遥か下にみえる
来た方向。森が遥か下にみえる
赤岳へと続く尾根が光る
赤岳へと続く尾根が光る

 

遠くに乗鞍・御嶽山
遠くに乗鞍・御嶽山
権現岳方面
権現岳方面

 

 「わー!きれいだー」と叫び、一人だったらいつまでもそこにいてしまいそうな私を、ザイルでつながった佐藤さんが急かす。雪崩の起こりそうな斜面は速やかに渡らなくてはならないし、天候がいつ変わるかもわからないし、歩いている時は感じなくても気温は低いのですぐ体が冷えてしまうからだ。岩がごろごろした最後の急登にかかり、山頂へ。10人ほどしか立てない狭い山頂で、少し吹き始めた風を受けながら、数組のパーティが束の間の休憩をしていた。360度の大パノラマ!少し雲がかかった太陽の方向に、頭を三分の一ほど白くした富士山が見えた。雪氷がついた祠に挨拶。気分は・・・新しくてピカピカしていて、どこか懐かしい。天に近づいたから?確かに、天国と言ってイメージするのは、この感覚に満ちている世界だ。
 

ごつごつした最後の急登
ごつごつした最後の急登
雪がとけずに固まっている
富士山方向をバックに山頂

 

 初めての冬山登山。ガイドと登る入門的な八ヶ岳を経て、これから私はどうするのだろう。例えば冬の北アルプスとか、クライミングとか、より過酷な方へ向かうのだろうか。

 

 『孤高の人』の主人公・加藤文太郎が、宮村(吉田)が「(結婚して山を離れた加藤にとって)自分の全身全霊をぶつけていけるものがあれば山でなくてもいいってことでしょう」と問いをぶつけた時、こんな風に返している。
 

 「ちょっと違うな。いやだいぶ違うな。・・・山は、何かの対象との比較の上に出されるものでは決してないんだ。山は山なんだ。山以外のなにものとも関連はないのだ。・・・」
 

 "いやだいぶ違うな。"と言い直す時の距離感の計り方がたまらなく好きだ。山は山。私が何故山に登るのかと訊かれたら、「そこに山があるから」というより、「山が好きだから」が一番的を得ていると思う。壮観な景色を求めるのでなく、"より高みへ"という志向性に駆り立てられるのでもなく、未知へのアドベンチャーに誘われるのでもなく。まあ、どんな理由も気分もあるのだけど、自分がそこにいる時、その山を全身全霊で楽しんでいられたらいいな。夏山も冬山も。


 

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