第2回 「日本の最北端・知床半島で 朝日にタッチ!」
新潟発ではないですが、北海道・知床の旅のことを。
知床。シリエトク。アイヌ語で「地の果て」。
遠くにいきたかった?いや、人のいないところにいきたかった。自然の法則が完全に支配しているところへ。 生きることも死ぬことも肯定も否定もなく存在しているところへ。 たまにそういう欲求が発症する。
一緒にいった友人はアメリカインディアンに憧れるアメリカ人。 彼が教えてくれた、アメリカインディアンの言葉を思い出す。 「森で松の葉が落ちた。その音を鹿が聞いた。その匂いを熊が嗅いだ。それを鷲が見た。」
知床を歩くときには、全身に少しの緊張をまといながら地面に深く足をつけているような感覚だった。 冬眠から目覚めたヒグマの活動期でもあり、エゾシカが人よりも多い目でこちらを見ている場所。 動物たちのルールの中へ、はたしてヒトである自分は溶けこめているだろうか。 その一点に意識が集中する。音。匂い。かたち。呼吸。感じるもの そのものになっていく。
川で、シカの角を拾った。 ウトロでシーカヤックをした後、スーツを洗うために川に入ったのだけれど、 脱ごうとした時にスーツに小さなカワゲラがくっついてきていたのに気づいた。 その子を川へ帰しに行って、ふと脇をみると、その角があった。 誰かがそこにそっと置いておいてくれたみたいに、 川の流れから逃れて、その尖ったかたちが岩の間で沈黙していた。
一体どんな勇敢な雄だったんだろう、と驚きをこめて想像させられるほど立派な角だ。 雄のシカは、毎年春に角をおとして新しい角を生やす。 この角のかつての持ち主も、その川の近くで息をして草を食んでいるのだろう。 春の陽射しの中、新しい角のやわらかい疼きを頭部に感じながら。 古い角はそして私が持って、彼の記憶と私とをつなぐパイプになった。
羅臼方面から知床岬をめざす道の途中でキャンプをした。
半島突端の知床岬までは、車でいける最終地点の相泊(あいどまり)から、二泊三日の海岸線をつたう徒歩の旅になる。(※)
2時間半ほど歩き、「観音岩」の近くの山に入った。
知床はヒグマの生息密度が極めて高い場所だが、そこは地元の人に「必ずクマに遭うよ」と念を押されたほどの密集エリア。
音を立てて歩くのは好きではないが、買ったクマ鈴を手に持って鳴らし、
他に思いつかないので「森のくまさん」のうたを歌って傾斜を登っていく。
・・・ヒグマの糞。・・・笹藪の向こうに聞こえる、がさっという重い音。
そこにいますか?(はい、います。)
そんなやりとり。緊張と安らぎ。自分を晒していく。
何に?
クマという意思に。自然の法則に。人も動物も平等に含みすすむ、終わらないループに。
登りきったところは、断崖の上に広がるシラカバ林の台地だった。海からの風が抜けていく。
夕方から夜、木々の樹形は影絵から影になる。
風が吹いて葉が落ちる、重なる、こすれ合う。
二頭のシカがテントの隣に来て声を上げて帰っていった。
空いっぱいの星が木々のずっとずっと彼方で光っていた。
私はただ座っていた。闇の中で、死についても、瞑想していた。
目が覚めたらテント越しにかすかな明るさを感じた。 テントをひらくと、霧がシラカバの林を覆って、白い幹に光を滲ませていた。
雲海に包まれた海の上に、ぽっかりと赤い口が現われた。それはみるみる赤い円になった。
水平線も空もわからない白い空間に、赤い円だけが浮かんでいた。
優しさも厳しさもなく、どこまでも中立に、ただそれは浮かんでいた。
ただ息をつめて見つめている間、一つだけ、「あ、日の丸だ。」と思った。
知床を旅しながら、ふと「心は遍在する」と言葉が浮かんで、深く頷いた。
私たちが所有できるものは何もなくて、この心も、この体も、
一つの同じものがあちこちに分けられて存在しているのだと。
雄雄しい角を生やす鹿に、小さく鮮やかにひらく花に、
シラカバのさめざめした白に、
あの太陽に、月に、大地に、
私と同じものが流れている。
あるいは私が感じた思いが、彼らであり私だ。
その距離は、なんてうれしくて大きくて心地いいんだろう。
だって、地球とだって、心を合わせることができる。
目にみえないもの、心。
それは言葉やカタチにした瞬間にそれではなくなってしまうけれど、
それを感じとる力を授かった人間を、私はとても愛おしく思った。
(※)知床岬までのルート・・・かつては通行禁止だったが、今(2011年6月現在)は許可されている。羅臼の「ルサ・フィールドセンター」が詳しいルートの解説やヒグマ対策(フードコンテナや熊スプレーの貸し出し)などを行っている。