アダマン号から考える「公共性」。

2023年のベルリン国際映画祭コンペティション部門で金熊賞(最高賞)を受賞したドキュメンタリー映画『アダマン号に乗って』が、この春公開されました。
アダマン号は、セーヌ川に浮かぶ精神疾患をもつ人のためのデイケアセンターです。

パンフレットで、精神科医の斎藤環氏が書いておられましたが、ここで行われている治療法は、「制度精神療法」と呼ばれるものです。
医師をはじめとしたスタッフ、施設利用者、この両者が「する側、される側」ではなく、対等な立場で場を形成し、ケアと研究を同時進行して行きます。

さて、このアダマン号。
川に浮かんでいる。という立地もさることながら、建築自体も素晴らしいのです。
「船」としてのドラマティックな演出もありながら、自然素材を主体とした内部は、コンパクトな居心地の良さがあります。とりわけ、はね上げ式の窓から入る自然光は、映画の中でも印象的な情景として描かれています。
建築としての素晴らしさを語ることは、ある意味簡単なのですが、感銘を受けたのは、精神疾患という大いなる謎に対し、建築をもって切り込もうとする、その姿勢です。

アダマン号は、フランス政府による公的医療機関です。
行政が発注者となる公的施設の場合、当然、公共性というものが求められます。
公共性と聞いて、直感的に浮かんでくるのは、「開かれた」「みんなのための」そんな言葉だと思います。
しかし、この公共性という言葉、実は明確な定義がありません。少なくとも日本では。

パリの姉妹都市、京都では府立植物園周辺の再開発「北山エリア整備基本計画」がちょっとした話題になっています。
この計画は、当初、植物園の他、スポーツアリーナ、ホテル、シアターコンプレックスなど、を併設した、複合型アミューズメント施設として議会に提出されました。
いくつかの要素を詰め合わせたらにぎやかになる。という幕の内弁当的発想は、案の定一部の府民から反発を買い、市民運動によって計画の見直しがなされました。
*運動は現在も継続中です

これは、公共性が「にぎわい創出」などの言葉に変換され、さらに意図が曖昧になってしまった一例でもあります。
意味を拡大解釈し、リスクを避ける。という発想が根っこにあるのかもしれません。が、それは、もはや「概念」でしかなく、むしろ混乱を招くような気がします。

アダマン号は、明快な目的を持つ、専門性を持った施設です。主な利用者は精神疾患を持つ患者、立地、建築もノーマルなものではありません。
しかし、この作品をみると、アダマン号が、「開かれた」「みんなのための」場所であることが、伝わってくるはずです。
この違いは何だろう?
次回、もう少し書いてみたいと思います。

 

アダマン号

ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開中
©TS Productions, France 3 Cinéma, Longride – 2022

監督:ニコラ・フィリベール
2022年/フランス・日本/フランス語/109分/アメリカンビスタ/カラー/
原題:Sur L’Adamant/日本語字幕:原田りえ
配給:ロングライド 協力:ユニフランス
公式サイト:https://longride.jp/adaman/