公共性を考え直す。

前回の続きです。

京都駅南口に「京都アバンティ」という複合型商業施設があります。
開業は1984年。意外に知られていないのですが、この施設は、京都市の京都駅南口再開発事業として建設されたものです。
当時、京都駅の北と南では、開発に明らかな差があり、そのアンバランスを解消すべく、駅チカの大型商業施設として誕生したのがアバンティです。

その後、民間企業に運営が譲渡され、コギャルの聖地と化すなど、開業時ほどではないにせよ、それなりに話題に上がる時期もありました。現在は100円ショップや衣料量販チェーンが入る、どこにでもある庶民的なテナントビルになっています。
はじまりがガチガチの公共事業であったことを考えると「100円ショップを作るために税金払ったわけちゃうぞ」と、お怒りになる京都市民がいてもおかしくはありません。

しかし、現在の状況は、建物を維持し、事業を継続するための自然の成り行き。としか言いようがありません。
「公共」のものであっても、当初の目論見がいつまでも通用するわけではなく、市民の関わり方は時代によって大きく変化します。
騒音苦情で子どもが公園を使えなくなる。あるいは「排除アート」のような現象も、(悪い意味での)自然の成り行きかも知れません。
コンプライアンス重視の時代。むしろ「公共」であることが、より息苦しい状況を生み出す場合もあるでしょう。

人が住み続ける限り、公共事業としての再開発は必要です。
しかし、建物の容積率を上げれば「にぎわい創出」になる。という、ありがちなメガ開発思考は、さすがにちょっと無理がある気がします。アバンティの例を出すまでもなく。
そして、ネガティブな「自然の成り行き」を回避し、未来へつながる事業を考えるのであれば、常に何らかの問題解決に向け、公共物は機能すべきだと考えます。

例えば、前回触れた「北山エリア整備基本計画」。植物園、という形態には様々なテーマを盛り込むことが可能です。
環境問題はもちろん、農業、食料、災害などのテーマも探ることが出来るでしょう。森林資源は、当然、建築にも深く関わって来ます。

ハリウッドの娯楽超大作にも、あらゆる社会問題が盛り込まれるこの時代。社会的なテーマを持つことが、「にぎわい創出」に反することはありません。
文化的エンタメ施設として、植物園の持つポテンシャルはかなり高いと思われます。

市民参加のプロセスを含め、公共事業に対する哲学、思想そのものを変えなければいけない時期に来ているのではないでしょうか。

京都アバンティ