台湾で建築と福祉を考えた。

9月の連休、台南と台北に行ってきました。
特に予定のない、純粋な娯楽旅行です。

どこに行っても心をウキウキさせるのは、ゴミ、工事現場、再開発、と言ったキーワード。台湾の街には、かつて日本にあった人間臭いカオスがある。というような表現をされますが、上記の現場でもそれは同じ、見られたらヤバいものとして取り繕うことなく、むき出しのまま放置されている感じがしました(特に台南)。
ずっと散歩しているだけでしたが、とにかく楽しかったです。

ところで、台北駅周辺には、ホームレスの方がたくさんいます。
そのあたりの事情が気になり、台湾の作家、李玟萱(リー・ウェンシュエン)さんの著書『私がホームレスだったころ』(白水社)を帰国後すぐ読んでみました。
ルポルタージュとしても大変面白いのですが、ホームレスをとりまく状況について、私たちがいかに一様なイメージしか持っていないか? それを思い知る1冊でもあります。
台湾に興味のあるなし関わらず、おすすめです。

台北駅で、ホームレス以上に印象的だったのは、吹き抜けの大ホールに座る、大量の東南アジア系とみられる外国人の方です。
ご飯を食べたり、カードゲームをしたり、なかにはインスタのライブ中継をしているグループもいました。楽しげな雰囲気が、むしろ異様に映ります。
後から調べてわかったのですが、ここに集っているのは、インドネシアから来た外国人労働者の方で、毎週日曜はこんな感じになるそうです。
引用ばかりで恐縮ですが、詳しくはこちらの記事をお読みください。↓
台北駅の大ホールに集う外国人労働者たち
非常に良いレポートです。

そのような、カオスをカオスのまま放置する「寛容さ」がある一方、若手クリエイターが手がけるデザインや内装は、非常にセンスが良いのもの台湾の特徴です。
台南で訪れた古い建物をリノベーションした施設、カフェなどは、どれも素晴らしいものでした。
ほとんどがコンクリート造なので、構造に気を遣わず、内装に集中できる利点はあるでしょう。実際、外観については最低限の補修にとどめられており、街の風景にも違和感なく溶けこんでいました。
良いデザインや建築は、周囲の環境と調和します。ずっとある日常の風景を損なうことなく、都市の更新ができる。これは、結構大きなポイントかもしれません。

寛容さとセンスの良さは、無関係ではない気がします。
単純な話、オープンで「見える」状態にあるからこそ問題意識が生まれます。デザインや建築が、社会の写し鏡だとすれば、実際に「そこにある」ものを見ることが、より調和の取れた、客観性のある表現を生み出すのかもしれません。

それなりに自分の住む街を気に入ってはいるのですが、特に台南について、これほど他の街をうらやましく思ったことはないかもしれません。
何ごとも「見えなく」され、カオスを失った街。その行き先を考えると、少しばかり暗い気持ちになるのでした。

台湾駅