「自然」に興味がない。

自然が作り出す光景にあまり興味がないことには、薄々気づいていました。
美しい夕日や、圧倒的な存在感を放つ巨木を見ても、特に感情をゆさぶられた経験がないのです。
ちなみにここで書く「自然」とは、人間の手が入っていない状態を指し、田畑やペットなどは除きます。

絶対的な理由として、まず「自然がこわい」というのがあります。誇張ではなく、文字通り「こわい」のです。
一番こわいのは野生動物、特に熊です。猪が次点、猿、たぬき、アナグマなどもあなどれない存在です。山道で、草むらがガサガサすると「なんや!」と声を出し、何らかの獣が飛び出してこないか警戒をします。
「山の怪」的な民話、伝承も恐ろしいものです。
自然は人を狂わせる何かがあります。広大な自然に放り込まれることは、恐怖以外の何者でもなく、当然、「自然とふれあう」機会を積極的に取り入れることはありません。

相対的な理由としては、人間の作り出したもの(風景)の方が圧倒的に好き。ということがあります。廃墟であれ大都市であれ、生々しい生活感、人の痕跡が漂う場所に吸い寄せられる傾向があります。

いわゆる里山のような場所で育ったことも、理由の一つかもしれません。
あくまで僕の感覚ですが、70~80年代の中山間地域には、牧歌的に「自然と共存」するセンスはなく、搾取、あるいは征服する対象として自然がありました。
山菜を時間と体力がゆるす限り採りまくり、いくら採っても採りきれない、自然の広大さをうらめしく思ったものです。こちらに利(主に食べ物)をもたらさない限り、「自然っていいなあ〜」とは思わない。傲慢な話ではあります。

一応、言い訳をしておきますと、自然をないがしろにするということではありません。むしろ、土や植物のある場所に人工的な異物をぶち込んだりすることは、人並み以上に抵抗がある方だと思います。
そのような行為は、すごく「不吉な感じ」がするのです。得体の知れないものに対する、原始的な怖れ(畏れ)なのかも知れません。
自然は、常に不吉さをまとっているような気がします。山や海の美しさを素直に受け入れることができないのは、この感覚から来ていると思われます。

自然に寄り添えば、人間は幸せになれる。なんて理屈はないはずです。守ろうとしても、壊してしまっても、それなりに試練を与え、もっと言えば殺しにかかってくるのが自然だと思います。
僕が、ゴミや古材に執着してしまうのは、「なるべくご迷惑をかけないよう、人間は人間同士で何とかしますので」。という、自然に対する弁明なのかも知れません。

「自然」に興味がない