役割を演じてみる。

住んでいる地域のゴミ収集場で、ちょっとした問題が起きています。
昨年の夏ごろから、回収日以外のゴミ放置が目立つようになったのです。ネットもかけていないので、カラスがつつき、中のゴミが散乱していることもありました。
誰が捨てているのかはすぐにわかりました。自宅裏手に住むMさんです。これから注意してもらうよう伝えたのですが、頻度が減っただけ。

必ず小さめのゴミ袋を2つ。中のゴミは、生ゴミの汁流出防止と中味が見えないようするため、新聞紙や包装紙でくるんであります。毎回この状態なので、Mさんのゴミであることは一目瞭然です。曜日は間違っていますが、妙に捨て方のマナーが良いのも気になります。
単にずぼらで捨てているわけではないのかな? そう思い始めたのは、ゴミ捨ての朝が肌寒くなったころでした。

Mさんは高齢女性の一人暮らしです。Mさんにある変化が起き始めていたことは、数年前から気づいていました。
立派な一軒家が少しずつ荒れ始め、あちこちに監視カメラが設置されました。門戸の隙間にビッチリ養生テープが貼ってあるのをみたこともあります。

ゴミ捨て以外、目立ったトラブルがないことからも、Mさんのなかで、何らかの「症状」が進行している可能性は否めません。その後、どうやら介護拒否の傾向があることもわかりました。ますます、無軌道なゴミ捨ても腑に落ちる気がします。
このようなケースでは、すぐに問題を解決することは難しく、見守るしかない場合もあります。

確かに腹も立つでしょう。しかし、何もわからず感情的になることと、状況を理解した上で「見守るしかない」と思うことには、大きな差があります。
知識を得て、観察し、想像力を働かせる。
あらゆる行動の基本といえますが、こと生活圏内のトラブルになると、いきなり感情的になってしまう人が多いような気がします。

その瞬間に湧き上がる感情を抑えることは、簡単ではありません。
僕自身、「ああ、またか」とうんざりすることもあります。そんなときは、いつも「役割を演じる」ことを意識します。
「しかたないなー」とつぶやきながら、いそいそとネットをかけに行く。ゴミの片付け役を「演じる」ことは、不用意に感情を揺さぶられないための、ストレス対抗策でもあります。

使命感や善意といったものは、自分自身を追い込んでしまう場合もあるので、あまりアテにしない方がいいかもしれません。
地域福祉活動は、ありのままである必要はなく、与えられた役割として取り組めばいいのです。

 
ゴミ収集場