小さく活動することに意味がある。

最初にお知らせがあります。

この連載の文章は、ずっと敬体(ですます調)で書いていたのですが、今回から常体で書くことにしました。特に理由はないのだが、文章のリズムを変えて、新鮮な気分で書いてみたい。と、ここからもう常体で書いている。

前回に引き続き「麓」の話。

よく聞かれるのだが、0えんマーケットを開催している「麓」の土地建物は購入している。いや、買ってもらった。と表現した方が正しいか。「ホホホ・ザ・わいわい」時代からの活動に賛同してくれた方々が出資してくれた。

先日、法人として最初の確定申告を終えたところだ。おおよその計算だが、法人税と固定資産税で10万、保険関係で3万、会計ソフトやウェブサイトまわりで6万、今は電灯とストーブしか使っていないので光熱費は2~3万(年間)、その他雑費を含めると、一年30万ほどあれば運営が可能なことがわかってきた。もちろんこれは、本当の最低限。

一般法人なので、営利事業をしてもいいのだが、そこに投資する余裕もないので、実質非営利。ただ、これくらいの運営費であれば、0えんのドネーションとメンバーの出資でなんとかなる。

「麓」の内装は、電気系統などの基礎工事が終わっただけで、まだまだ未完成、設備投資の資金は足りていない。それでも、0えんやイベントの開催はなんとかなっている。

まもなくエアコンが必要な季節になるが、扇風機でしのぐつもりだ。暑くてどうしようもない日は閉めてもいい。イベントをやるための涼しい場所は他にもあるだろう。

こうして書き出すと、えらく見通しが甘いように思えてくる。場当たり的な活動になってしまうのは、団体の性格かもしれない。改善点はあるだろう。

「麓」のお披露目となったオープンウィークの際、こんなステイトメントを書いた。

<不用品リサイクル、空き家の利活用、福祉や医療の相談支援から、なんとなくモヤモヤしていることまで。「こんな場所があったらいいな」と思えるような、上でも下でもないニュートラルな場所=「麓(ふもと)」を地域に住むみなさんと作って行きたいと考えています。>

文章としては、風呂敷を広げすぎた気もする。つい、いろんな要素を盛りこんでしまったのは、自分たちの生活はなるべく自分たちでなんとかする、「自治」の実現を考えているからだ。
広げた風呂敷をたためる程度に、活動の範囲はあまり広げることはできない。高齢者問題は空き家問題とつながっているし、食や芸術も無関係ではない。あらゆる地域の課題には相関関係があるので、ケースごとにじっくり観察しないとわからない。やりたくても、手広くやれないのが実情なのだ。
場当たり的になってしまうのは、こんな事情もある。
見通しの甘さは、あせらず、余裕を持って活動している。と言い換えることもできるので、長い目で見てもらえればと思います。

麓