0えんマーケットの感情的運営。

昨年、地域福祉を目的とした一般社団法人ホホホ座浄土寺座を立ち上げ、お店の隣に「麓(ふもと)」という名の、新しい場所を作りました。
まだ内装工事中で、完全体には程遠いのですが、少しでも認知してもらおうと、「0えんマーケット」(以下0えん)常設し、今年からぼちぼちオープンしています。
0えんは、法人の前身でもある、ボランティア団体「ホホホ・ザ・わいわい」時代にスタートした、その名の通り、無料でなんでも持って帰っていいですよ。という企画です。
何気に8年目に突入した0えん。よく聞かれるのが、いわゆる転売ヤー、つまり無料で持ち帰ったものをオークションサイトなどで販売されるのはどうなん? という懸念についてです。

結論から申しますと、容認しています。
一応、僕(古物商)のフィルターを通していますので、数万単位の利益が出るものは、置かないようにしています。となると、転売してもたかだか数千円。何かしら、その人なりの事情があるのだろう。ということで、納得しています。
転売ではなく、さほど値がつくとは思えないようなものを、沢山持って帰る人もいます。このような場合、何らかの病理が隠されている可能性も否定できません。一様に「がめつい人」として非難するのは危険です。
たとえ持ち帰ったものがゴミになっても、この場所に来ることで気分が良くなるのであれば、それでいいのでは? 葛藤はありますが、そんな気持ちを優先した方が、状況が殺伐としないのは確かです。

0えんのような場所では、どこの誰が得しようが、自分には全く関係ないはずです。しかし、うかつに他人が得をすることがゆるせない。という人は確実にいます。
ねたみというより、誰かが得をすると自分が損をする。という感覚なのでしょう。自分の領分が侵されているような気分になっているのかもしれません。

もちろん、僕自身にも、ただでもらったものを売るなんてずるい。と思う気持ちはあります。そこへ、福祉的行動にありがちな「やってあげている」感が出てしまうと、おそらく排除の方向へと進んでしまいます。それだけは避けたい。
「何を、どこまで受け入れるか?」といったテーマは、その人なりの事情や場がもたらす心理状態を想像し、考え、話し合うことでしか解決できない気がします。
場当たり的にはなってしまいますが、ここをないがしろにすると、おそらく続けることはできないでしょう。
贈与経済、非貨幣経済、シェアリングなどが謳われる昨今、システムそのものよりも、感情の方がやっかいな問題なのかしれません。
それはそれで「人の仕事」という感じがするので、僕は好きです。

0えんマーケット