たとえ「歴史的」じゃなくても。

銭湯活動家としても知られる、梅湯(ゆとなみ社)の湊さんと話していた際、彼と話したトピックがなんとなくひっかかっていたので、ここで整理しておきたい。

湊さんが守ろうとしている銭湯は、何百年も続く古湯ではない。いわゆる「レトロ」の文脈には入るかもしれないが、「歴史的」なものではない。
同じ古いものだが、この2者には、格付けとして天と地ほどの差がある。「歴史的」は、国が面倒をみてくれる場合もある、しかし、「レトロ」は、そういうわけにはいかない。

京都市における歴史的建造物(景観重要建造物、歴史的風致形成建造物の2種類がある)、直近の資料によると238の建築が指定を受けている。指定を受けると相続税の控除があったり、保全修復にも助成金が出る。
条件を満たせば、建築基準法に従わない改修もできる。災害や環境変化が叫ばれるこのご時世、意匠優先の発想は、そうはいってもなかなか難しい。なくさないで欲しい制度の一つだ。

改修や不用品回収の現場で、60~70年代の高度経済成長期に建てられた、おもしろい住宅に出会うことがある。
例えば、「偽洋館スタイル」の内装。化粧合板を多用し、シャンデリア風照明、火が入らない暖炉(ストーブなどを置くスペース)など、西洋へのあこがれが独特の意匠で炸裂しており、大変興味深い。
無論、このような家は、歴史的建造物にかすりもしない。
銭湯と同じ次元で語るべきではないが、「偽洋館スタイル」は、二度と作られることがない意匠として、保存しておきたい気持ちもある。

湊さんが、「もう少し<歴史的>って繰り上がらないんでしょうかね?」と言っていたのを思い出す。
銭湯が「歴史的」とみなされる可能性は、かなり低いことを前提にしているのだろうが、危機感の強さを感じた。シビアな話、湊さんや僕が守りたいのは、機能として衰退し、意匠としての価値も薄い(助成金が出ない)「文化」なのであって、限りなく趣味の世界に近い。
「好きでやってるんでしょ?」と問われれば、そうですね。としか答えようがない。

ところで、前回、京都市の空き家について書いたのだが、2024年8月から、京都安心すまい応援金(京都市子育て世帯既存住宅取得応援金)という、新しい制度が実施されるようだ。
子育て世代に限定されるが、中古住宅の購入や改修に補助金が出るという。ざっと一読しただけだが、今までになく内容は充実しているように思える。

現時点では、新築を買うのは無理だから仕方なく。というニュアンスの人が多いだろう。
湊さんや僕は、「仕方なく」ではなく、むしろ中古住宅の方が良い。と考えるムードを醸成したいから活動を続けている。とも言える。
人の生活は、時間と共に機能的、合理的になり、豊かさの上を見ればキリがない。中古しか(でも)買えないことに絶望するのか? これでいいのだ、とバカボンパパよろしくポジティブに生きるのか?
ここは、個人の価値観による。そこを揺さぶりたい。
「好きでやる」仕事としては、まあ、やりがいはある方かも知れない。

たとえ「歴史的」じゃなくても。