滋賀の体感

9月、個展のため東京へ。新幹線で東京駅に着いた途端、当たり前だが人が多い。ビルの細い谷間から見える空は、一段と狭くなっているような感じがする。

会場のギャラリーブリキ星がある西荻窪には、50年前の道路拡張計画があり、ずいぶん前からじわじわと景観が変わっている。個人商店が減って大型スーパーが出来た。2年前は街並みが寂しい感じだったが、今年は少し雰囲気が変わって、新しい飲食店が増えている。

ブリキ星とその周辺に住む人は道路の拡張に反対だ。計画では店舗兼住居の敷地の半分くらいが道路になるとされ、そのまま住むことはできなくなってしまう。そうなると立ち退かねばならない。2年前に新区長に変わったことで、無理に立ち退きを迫られることは今のところないようだが、問題と不安は続いている。ここに住まう人たちが、落ち着いた生活感のある街並みのまま安心して過ごせる時が来るようにと思いながら、会期を過ごした。

東京は至る所で再開発が行われており、高層ビルがますます高く伸びている。自分の日常だった東京は2007年までなので、行く度に街の変化に驚くが、今回は東京の玄関口で迷ってしまった。そんなことは今までなかった。

個展後で疲れていたが、せめて帰る前に!と、東京駅から一番近いアーティゾン美術館へ行こうと決意。東京駅周辺の地理は熟知していた、はずだった。しかし今の自分の空間認知は、2階建ての小さなスーパーがあるくらいが日常の滋賀基準。眼の前の八重洲口は広大すぎる。外堀通りに渡る道がない、八重洲ブックセンターもない(後で休業中と知る)。かつては駅前から中央通りまで見通せたのに。

とにかく駅前から出なければと思うものの、地上の最短ルートを諦め地下から行くことに。しかし地下も激変していて、居場所が把握できない。仕方なくスマホを出す。春にスマホ地図を見ながら歩いていたら、剥離骨折したので慎重に歩くが、目的地に近づかない。さんざん迷って八重洲口から中央通りまで300mが30分。ようやく辿り着いた美術館は、かつてのブリヂストン美術館の面影が全くない、入口すらわからない新築のビルになっていた。

歩き疲れと外観の変化のショックと限られた時間を浪費した焦りで、疲労増のまま入館。コレクションによる「空間と作品」という企画展示を見る。見覚えのある作品と見たことのない古美術や調度、民藝が飾られている。飛青磁(中国龍泉窯の青磁の花瓶、茶色の斑模様がある、重要文化財)に、ロバート・ライマン(アメリカの現代美術作家、コンセプチュアルだけど感情豊かな白い作品を作る人、店番独自の解釈)もある、すごいなぁ、と桁違いのコレクターの品々を眺めながら進むと、室礼の展示に懐かしい絵があった。セザンヌの「鉢と牛乳入れ」。10代の後半にとても好きだった。今はセザンヌ=描きかけの筆跡と余白、という印象ゆえ、この小品は忘れていた。しばしただ懐かしく絵を見ていたら、記憶が自分の中で埋もれ重なっているという当たり前のことを、しみじみ感じた。大切に思ったことを掘り起こして、今の自分につなげて置き直してこれからやっていかないと。

坂本繁二郎や青木繁、ジャコメッティ、モネたちにも再会し、高揚と疲労でふらふらしながらも帰りは迷わなかった。地上を歩いて駅前の石川県ショップで笹寿司を買って、米原に停まるひかり号に乗った。

滋賀に戻るとやはり実に人が少ない。地方の寂しさを実感するも、光はきれいで空が広い。遠くの雲の流れが気持ちよい。滋賀基準の体感は、悪くないなぁと思う。

「その先の向こうに 武蔵野 西荻・善福寺川手前」2007年 紙に水彩、木炭、パステル

「その先の向こうに 武蔵野 西荻・善福寺川手前」2007年 紙に水彩、木炭、パステル

■展覧会情報
川崎美智代・鈴木隆「漂着」(絵画・陶)
日時:2024年11月9日〜11月25日(水・木曜休)
場所:genzai 滋賀県東近江市五個荘川並町732-1