前回、群馬県北部の国有林「赤谷(あかや)の森」に棲むイヌワシのペアがこの森を守るきっかけをつくってくれた、と書きました。その出会いとその後の物語を続けましょう。
今から25年ほど前の1990年のこと、NACS-Jの事務所を突然訪ねてきた人たちがいました。新治村(今はみなかみ町)で活動する「新治村の自然を守る会」のメンバーで、赤谷の森に進められているリゾート開発をなんとか止めたいという相談でした。計画のある場所は村の大事な水源の沢で国立公園にもなっているところですが、そこに県が開発構想をつくり、林野庁が後押しし、企業がスキー場とホテルを建設するというのです。
さっそく翌月、NACS-Jのスタッフが新聞社のヘリに同乗させてもらい、上空から現地を見ました。するとちょうど、村の水源、ムタコ沢の上をイヌワシのペアが飛んでいるではありませんか。そして、彼らが棲む谷に国がダム建設を計画していることもわかりました。当時は全国各地の国有林でリゾート開発が計画され、NACS-Jは森林保護のため先頭に立って開発に反対していたので、地元の人たちといっしょに赤谷の森の開発を止める自然保護運動を行うことになりました。それから10年後の2000年、ついに赤谷のリゾート計画もダム計画も中止となりました。奇跡のように姿を見せたイヌワシが、赤谷の森を守るきっかけをつくってくれたのです。
開発を止めたまではよいが、その後どうする?――あちこちの自然保護運動がぶつかる次なる課題です。NACS-Jは赤谷の森を管理する関東森林管理局と話し合う場をつくり、森の「再生」という新しい考え方を提案しました。国有林は戦後、天然林を伐ってスギやヒノキの人工林を増やしてきましたが、木材の輸入自由化以降、国産材は競争力を失い国有林経営も赤字が膨らんでいました。そういうなかで開発計画が出ていたのですが、国民からは逆に森林保護を望む声が高まり、林野庁自身も方向転換を探っていました。
いまだ豊かな森とはいえ、赤谷の森では3割が人工林となり、渓流にたくさんつくられた治山ダムや砂防ダムでイワナやヤマメは行き来できなくなり、炭焼きやキノコ採りなどで森に入る人も少なくなっていました。そこで、森が本来もっている恵みを生き物と人間がもっと受け取れるように、「生物多様性を復元する森林管理」をいっしょに試してみましょうよ、と提案したのです。森林管理局も賛成して、2004年には地元の地域協議会と関東森林管理局とNACS-Jとが、国有林を協働して管理するという日本で初めてのこころみ、「赤谷プロジェクト」が始まったわけです。
自然保護運動はアメリカ生まれで、その始まりは20世紀初め、ヨセミテ国立公園内の渓谷に立てられたダム計画を止めようとしたシエラ・クラブによるものです。当時の自然保護が守ろうとしたのは「人の手が入っていない自然」でしたが、20世紀終わりから赤谷の森で始まった自然保護は、自然と人がともに豊かになろうということ。それっていったいどんなこと? 次回、そのためにやっていることを見に行きましょう。