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2月17日(土) ~

2月25日(日)

増渕篤宥 陶展

poool 増渕篤宥 陶展

「お前は陶芸家か?
そう聞かれると少し違うような気がします。
土を焼いて何かにする仕事全般を陶芸家と呼ぶのは少々乱暴な気もするし、実に多様なジャンルを持った仕事だと思う。
では自分は何者なのか?
そう考えてみると、用途を持って何かを入れたり、盛ったりする道具を作る陶器屋、入れ物屋といったところでしょうか。」

増渕篤宥さんはご自身についてこう話をしてくれました。

“ 陶芸家 “ というのが多様なジャンルを持った仕事であるとするならば、逆に陶芸家であってもいいはずです。
じゃあなぜ彼は“ 陶芸家 “ という自分にしっくりこないのか?
ふとそんな疑問が湧きました。

先の話には「独立するまで窯元での職人仕事に従事してました。」という前置きがあります。
“ 陶芸家 “の自分にしっくりこない彼は、じゃあ自分のことを ” 職人 “ と思っているのかというと、それも違うように思います。

彼にとって ”職人“ であることは、必要条件であって十分条件ではないように思うのです。

太古の昔から人は道具を作り続けてきました。
遠い昔、人は自分が必要とするものを自分で作りました。
作る人と使う人は同一でした。

歴史が進むにつれ、作る人と使う人が分離されるようになりました。

自分が使うものであれば、衝動に駆られて手を動かすだけで使い勝手の良いものが生まれたけれど、他者が使うもの(=道具)を作るようになった時、作り手は使い手の用途(意図)を思い描き、それに応えるものを考え、形にすることが必要になりました。

自分ではない誰かが使うものを作るようになったその時に、デザイン(design)という概念が生まれたのだと思います。

そして同時に、人間の思い(衝動)のままに生み出されたものは、それを受け止め、鑑賞する対象(=アート、art)として区分されていったのだと思います。

とはいえ、何かを作る(生み出す)ということは、作り手の思いなくしては成し得ないものです。

アートが作り手の思い(衝動)の一方的な噴出であるのだとしたら、デザインは「使い手の意図」というフレームを通し、作り手の思いを出力したものではないでしょうか。

そして、作り手の思いを低く抑えているのが ” 職人 “ であり、強く押し出そうとしているのが ”陶芸家 “なのではないかと思います。

増渕さんにとっては、使い手の意図(用途)に応えること(=機能性)も、ご自身の中にある思い(=作りたいもの)をカタチにすることも等しく重要なことなのだと思います。

常にその落とし所を探りながらモノ作りと向き合っているからこそ、自分が「陶芸家」であることにも、単なる「職人」であることにも距離を感じているのではないかと思いました。

今回の展示会について「見せたいものやテーマなどがありますか?」と聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。

「美術工芸未満のどこか、手の届く、用途を持った入れ物。
 食器から蓋物や香炉などの一点物。」

陶芸家でも職人でもない、増渕篤宥さんという作り手の着地点(=落とし所)を楽しんでいただければと思います。

日 時2024年2月17日(土)~2月25日(日)12:00 ~18:00( 最終日 ~17:00)
※定休日 火・水・木曜日
場 所poooL 東京都武蔵野市吉祥寺本町3-12-9 潤マンション105
H Phttps://poool.jp/
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備 考※2/22(木)から一部作品はオンラインショップでご覧になれます。
※詳しくはこちらをご覧ください。

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