6月3日(土) ~
6月11日(日)
高木浩二(Takagi Kouji)陶展
人は意識するとしないとに関わらず、様々な影響を受けながら生きています。
どんな社会に生きているか、どんな人と出会うかは、その人の「生き方」に影響を与え、多感な時期(10代後半〜20代)にはそれが顕著に現れると思います。
高木浩二さんが青年だった頃、日本の社会、そして彼が志したアートの世界は揺れ動いていました。
大阪では万博が開かれ、ファーストフードやコンビニなど、新しくて便利な文化が輸入されて「個人」が充実をしてゆきました。
その一方で、学生運動をはじめとする社会運動は人々の関心を失い、世直しの機運は急速に勢いをなくしてゆきます。
アートの世界ではコンセプチュアル・アートが台頭し、作品(=実態)だけでなく、それが生まれる過程(=考え)までもが「作品」として評価されるようになりました。
そんな時代に身を置きながら、高校生だった高木さんは陶芸家の辻村史朗さんに出逢います。
路上販売していた辻村さんと出会い、そのまま(辻村さんの)お宅について行って1ヶ月間居候をしたそうです。
その後も幾度となくお宅を訪れては居候をしていたと言います。
頭(理性)と体(感性)がバラバラになっている「社会」や「アート」を横目に見ながら、辻村さんの生き方は、高木青年の目にどのように映ったのでしょうか。
学芸員になることを模索しつつ、大学で芸術論を学んでいた高木さんが、卒業後に「作り手」になる道を選ばれたことから察するに、彼にとってもまた、芸術は頭(理性)と体(感性)が一体となったものでなくてはならず、それは自分が「生きていく」ことと同義語だと思うようになったのではないでしょうか。
イギリスの作家 G.K.チェスタトンは「平凡なことは非凡なことよりも価値がある。いや、平凡なことのほうが非凡なことよりも、よほど非凡なのである」と書きました。
高木さんがいわゆるアート作品ではなく、「日常づかい」するものを作ることを選んだのも、自身の経験から「平凡なことの非凡さ」を直感したからではないかと思います。
高木さんの作品を手にすると、物質的な重さとは異なる「重み」のようなもの感じます。
日 時 | 2023年6月3日(土)~6月11日(日)12:00 ~18:00 ※休み 火・水・木曜日 ※作家在廊日 6/10(土) |
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場 所 | poooL 東京都武蔵野市吉祥寺本町3-12-9 潤マンション105 |
H P | https://poool.jp/ |
S N S | |
備 考 | ※ 一部の作品はonline shopでも販売予定あり ※詳しくはこちらをご覧ください。 |