林業は儲からない。林業はもはや産業としては成りたっていない・・・と言われています。それに対して国は「森林・林業再生プラン」を発表し、林業を成長産業として位置づけたことはvol.2でも書いたとおりです。しかし、もともと林業というものは、短期的な収入を期待する産業ではなかったのではないでしょうか。特に、日本の森林所有者の大多数を占める小規模所有者にとって林業は将来への投資であって、生計を立てる手段としては考えていなかったと考えられます。そもそも多くの森林所有者は、森林の保育作業を森林組合などの外部に委託しており、森林所有者=林業事業者では無いことの方が多いのです。
戦後の一時期、日本の山の多くが伐採され、伐採跡地の再造林や国の拡大造林政策(※)により、伐採・造林作業に人手が必要でした。外材輸入がほとんどなかった時代ですから、伐採した木材は高く売れ、当時は山で働けば(かなりの重労働で危険な仕事が多かった)、半年は里で遊んで暮らせた時代だったそうです。しかし、このような状況が極めて特殊な状況であり、まさに林業バブル時代であったわけです。
当時の森林所有者は持ち山の立木を売ることにより、伐採による収益が入り込んできたわけです。だからと言って、森林所有者の8割以上が所有面積5ha未満の小規模所有者であるわけですから、一般の森林所有者のほとんどは山の経営で生計を立てているわけではなかったのです。
多くの森林所有者にとって、山は銀行であって、利息を少しばかり期待しながら山の管理をしてきたというのが実情ではないでしょうか。現在の山の管理の問題は、山で生計を立ててきたわけでない大多数の森林所有者の「山の銀行」が利息を払えなくなったばかりか、元金も保障されなくなってしまったために、森林所有者の多くが持ち山に財産的な価値を見いだせなくなり、所有する森林に「無関心」になっていることが問題なのです。
林業というのは時間がかかります。農業の生産サイクルは1年を基本としているのに対して、木材生産は1本の苗木から直径数十㎝の丸太を生産するのに50年以上の歳月を要します。こんな作物は農業にはありません。
だから、木を伐って製品にするという林業の最終段階を担う人は、前の世代に育てられた木を伐って対価を得ることになります。だから、林業に大切なのは、森林という資源を枯渇させないことにあるのです。林業を産業の分類で考えるときには、木を植えて育てる仕事を「造林業」と呼び、木を伐って市場に出す仕事を「素材生産業」と呼んで区別しています。この「造林業」と「素材生産業」がバランスよく機能することで林業の持続性が保たれるのですが、「造林業」にかかる費用が「素材生産業」で得る収入で賄えないことが、そもそも林業が産業として破綻している根本原因なのです。
市場原理から言えば、「林業は儲からない→やめればよい」という図式になります。しかし、森林という自然環境を基盤とした林業の経営はそうはいかない側面があります。このような状況もあって、これまで国は、森林の公益的機能の発揮のために林業に公的資金を投入してきました。そして、今後は産業としての林業を再生するために公的資金を投入しようとしています。しかし、それには少し注意が必要だと思っています。これまでの「造林業」を主体とする林業は、森林環境の維持向上に繋がりやすかったのに対して、これからの「素材生産業」を主体とする林業は、森林環境の維持向上と基本的に相反する行為だからです。国策としてやらなければならないことは、森林環境を維持向上させながら森林資源を有効に使っていくための国の林業経営の哲学をしっかり持つことだと思います。
アリストテレスは、アッチカにおける森林破壊を見てその都市国家の滅亡を予言しました。古代ローマはローマ周辺の広葉樹林を伐採したため亡んだと言われています。古代フェニキュアの衰退もレバノン杉を伐りつくしたためだと言われています。森林を粗末にした国民は、その気質の殺伐化により内紛が絶えず、亡国の途をたどった例を歴史にはいくつも見ることができます。
森林を維持することによって豊かな国土を造り上げることに国の公的資金が投入されるのであれば、誰も疑問を感じることはないのですが。